――『アマゾンズ』はseason2まで走ってきましたが、『アマゾンズ』という作品を今あらためて振り返ってみて、どういう作品であったと思われますか?
season1は、「ヒーロードラマ」をやろうとしていたなと。見慣れたテレビ番組のフォーマットに近い、「ヒーローものってこうだよね」というお客様の感覚を下敷きにして、「ヒーロードラマ」を突き詰めているんですよね。season2は、逆にseason1を踏まえたうえで、「ヒーロードラマ」からは逸脱していますよね。いわゆる"ヒーローもの"というお約束ではなく、よく言えば自由になりかけている。
こういうSFがかったシチュエーションを背景にして、違うドラマツルギーというものの可能性はまだあるんだなということを今回を通じて気付かされたところは多分にあるんですよ。それは最初から狙っていたのではなくて、物語は生き物なので、お話が進展していく中で、これはこっちにいくねということが結果的に見えてくる。それはいわゆるヒーローものとは違う方向性ではあるけれども、こういう物語は止まらないねと。
狙っていたものではないけれど、では最初からこういう形の逸脱ってありなのか、こういうドラマツルギーってありなのかというのを"考えて"やった場合はどうなのかというのを見てみたい気がしました。でもお客さんがついてこなかったら話にならんので、そこは難しいところなんでしょうけど、まだ可能性はあるんだなという気がしましたね。
単純な話、怪人がでてきて、それを倒す仮面ライダーが出て来るという構造があるわけですよね。それはseason1だろうが2だろうが、『エグゼイド』だろうがどこだろうが。だけど作り手側もお客さんの側も、お約束をしすぎていると、当たり前になっちゃうじゃないですか。
怪人が出てくることや、人が変なものに変身するということは本当はすごいことで、その現象そのものが大きな題材となりうるほどのとんでもないこと。だけど怪人は出て当たり前、怪人が出たらヒーローが駆けつけて当たり前、変身して戦って当たり前、倒して当たり前というふうになっちゃうと、そこにイベント性もなければ、ドラマもなにもなくなってしまう。
じゃあ、もうそれではドラマにならないので、どういう要素を付加して、ドラマっぽくしていくのか、お客さんの記憶につなぎとめるのかという作業をするわけですよね。だけどそうじゃなくて、怪人とかバケモノが出てくること自体が世界を揺るがすようなものすごいことで、今回でいうと誰かが怪人になりましたというのは、人の人生を左右するほどの出来事で、それと戦うということもすごいことで、一生をかけなければならない仕事だったり、運命だったりするんだというのを突き詰めるという作業が、「仮面ライダー」を冠するシリーズには必要で、そういうことを掘っていったつもりではあるんですよね。