プロジェクトマネージャとして和歌に込めた思い
今日の講演では、大変ご不幸なことに、私の拙い歌(和歌)を読んでもらうことになりました。何回か講演をしてきましたが、いずれも公演時間の関係上、これを公開するのは避けられてきましたが、ここでお見せすることになりました。
5月12日にはやぶさから地球が見えた時に、はやぶさよ、「あれが地球だ」ということで、「さあ行こう、あのまぶしく輝き、(涙で)うるんで(にじんで)見える碧い星、(ふるさと)地球へ、手がかりを託す子(カプセル)をとどけよう、これが最後、イオンエンジンを駆ろう」という意味を込めた和歌、タイトル「終のひと駆け」として「吾行かん 輝き潤む 碧き星 手がかり孵す 終のひと駆け」という歌を詠いました。ひと駆けは"ひとかけら"と詠んでいただいても良いです。最後のひとかけらとしていただくと、また別の意味になってきます。ただ、はやぶさの先を考えると、こういう表現は本当はしたくなかった、というのが正直なところです。
6月13日のカプセル再突入の3時間前にはやぶさからカプセルは分離されました。その時に全力を挙げるのは、カプセルの分離と、カプセルの無事、そしてカプセルの誘導です。その時は、カメラを立ち上げることはなく、もしカメラを立ち上げて、電源がショートして探査機が死んでしまうと元も子もないわけですから、カメラはまったく電源も入れない、ヒータもつけないという状態で、凍りついた状態でした。
カプセルを分離して、残る通信可能な2時間、何をするか。かねがね私ははやぶさに最後に地球を見せてあげたいと考えていましたが、実はカプセルを分離すると、運用しようがしまいがカプセルの軌道は変わりませんから探査機自体を運用する必用はないんですね。したがって、本来の運用からすると探査機を運用する必要はないんです。ですが残り2時間、カメラで地球を撮影しようと提案すると、誰も異論もなく、これを行ってくれました。本当にありがたかったと思います。大変感激しています。
そこで2つ目の歌「産(うぶ)の形見に」です。これは「"はやぶさ"は、その身を挺して子のカプセルを護り、自らは故郷の地球の宙に輝いて散っていきました。産声(ビーコン)をあげた子のカプセルは、いわば"はやぶさ"の形見です。その成果、必ずや未来に届けたい」と、必ず後継ミッションをやるという想いを込めて、「まほろばに 身を挺してや 宙(そら)繚(まと)う 産(うぶ)の形見に 未来必ず」という歌になっています。
産声というと、アンビリカルケーブル。アンビリカル(Umbilical:命綱)という言葉は宇宙科学ではよく使う言葉ですが、ロケットのタワーとロケットをつなぐケーブルなどにもアンビリカルケーブルが用いられています。
これをUmbilical Cordとするとへその緒となりまして、はやぶさのカプセルは、アンビリカルケーブルを通して、ヒータの電力を供給していたんです。そのため、カプセルがはやぶさに抱えられている時は、妊娠中の母親がお腹の中にいる子供と同じようにエネルギーが供給されていましたし、切り離された後にどういったシーケンスを行うのかを書き込むのにも用いられました。
6月13日の地球降下3時間前に、はやぶさから切り離されて、地上との交信が切られ、はやぶさは高空に散り、カプセルだけが残りました。そのカプセルは、ヒートシールドというフタを開けて、ビーコンという産声をあげた。まさに「新星児」の誕生ということが言えると思います。
しかも、カプセルの重さは20kg、はやぶさが人間と同じくらいのサイズになると約2kg程度となり、人間の赤ちゃんと同じくらいということになり、まさに生まれたての子どもという言葉がぴったり当てはまると思います。 そう考えると、悲しくなってくるんですね。そこで3つ目の歌、「玉手箱」というタイトルです。「"はやぶさ"が還り、いにしえの手がかりを託そうとした玉手箱と再開しました。そのあまりのまぶしさが意外で、7年間はまるで一晩のようだ」ということで「還りきて いにしえ託さん 玉手箱 まばゆき出会い 七歳(しちとせ)一夜」と詠ませていただきました。
地球に戻ってきたカプセルを相模原で調べてみると、アンビリカルケーブルが残っていたんですね。燃え尽きるはずだと思っていたので、対面したときに思わず涙が流れました。