なぜ技術よりも根性なのか、そして神頼みの意味とは
6月13日のカプセル地球帰還時に、総理大臣から「飛行の成功に何が一番大切だったか」と聞かれた際に「技術よりも根性」と答えさせていただきました。なによりも帰還にこだわっていたわけです。
それは、「さきがけ」や火星探査機「のぞみ」などで思い知ったのは、ミッション(飛行)の継続に努力したわけですが、例えばのぞみでは結局、最後の最後で火星を周回することができなかったじゃないか、ということに落ち着いてしまうわけです。結局、惜しくもゴールできないとか、惜しくもメダルを逃したというのは、いくらやっても駄目だと、その時思いました。ですから、はやぶさの計画で、例えば2回目の(イトカワへの)着陸を前にして、もう1回着陸したんだから良いじゃないか、もう帰ろうという声もありましたし、行方不明になった時、このまま終わってしまうんじゃないか、という意見もあったんですが、なんといってもこだわらなくてはいけないのは、のぞみとかで経験した"悔しさ"ですね。だからこそ、なんとしても必ず"帰還"させなければならない、帰還を果たせなければ、結局は"果たせぬ夢"に終わると感じて、気持ちを張り続けていました。
そこで出てくるのが神頼みですが、例えば2009年に中和器が不安定な時期がありまして、2009年11月26日に岡山県真庭市の中和神社に行きまして、お札を購入してきました。神社の宮司さんもはやぶさのことをご存知でして、感激したのを覚えてます。ちなみに一言言っておくとJAXAの仕事は公的な事業ですので、政教分離の原則に従う必用があるので、こうした神頼みはあくまで個人的なベースで行っているものです。実は、そういう取材を受けたことがありまして、JAXAとしてではなく個人的な活動という説明をさせていただいております。
そもそも神頼みを行ったことで「神頼みをするくらいまで、自分は頑張れたかどうか、自分が(幸運以外の科学技術部分に対し)やれることをやりきれたのかどうかということを自己確認する」きっかけになりました。そういう気持ちになったことに加えて、無事帰還した後ですが、ご利益の話になりますが、「運が転がって来た時に、それをきっちりとつかまえること」だと思います。例えば、行方不明が見つかる、イオンエンジンが故障した時、再起をかけて、ある意味、一か八かという側面もありますが、それが上手く機能して、それを上手く掴んで地球にまで連れてこれたというのが、ご利益だといえると思います。
2006年には決まっていたはやぶさの最期
イオンエンジンの組み換え再起動時に、JAXAの特設サイトに「『はやぶさ』、そうまでして君は。」というメッセージを掲載しましたが、イオンエンジンの運転をして帰ってきたときに、本当にうれしかったんですが、逆に「必ず帰す」ということを2006年に一度行方不明となったはやぶさを発見したときに誓ってるんですが、その時、普通の化学エンジンが使えなくなっていることが分かっているので、すでにはやぶさ自身の運命は決まってしまっていたんですね。はやぶさが全力を尽くして地球に帰ってきても、そして自分自身は再突入から逃れることはできない。つまり、カプセルは地上に届けることはできても、自分自身は燃え尽きる運命なんです。
カプセルを届けるために全力を尽くせば尽くすほど、はやぶさという存在を犠牲にしなければならないということで、イオンエンジンの組み換えに成功した時にメッセージを出させていただきましたが、我々もあらゆる手段を投じて、カプセルを地球に届ける手段を講じ、努力すればするほど、はやぶさの運命を支配してしまうという悲しさがありました。しかし、はやぶさにとって最良なのはカプセルを地球に届けることだと、心を律してその後に望んできました。