自身の足跡から考えた、エンジニア教育に必要なこと

続いて水川氏は、実際に長年ロボットの研究開発や教育に携わってきた自身の歩みを紹介しながら、何がよかったのかを考察していった。

水川氏は、2002年のサッカ-W杯でカメルーンチームが滞在して有名になった大分県の中津江村(現・日田市)の出身だそうで、小学生時代は豊かな自然の中で昆虫採集をしたり、自分で道具を作って遊んだ。模型なども作ったが、既存品では飽き足らなくなり、自分で設計図を起こして木を削り出して作るようになった。そうした環境の中で「常に自分で何かを見つけ、道具を作って工夫して遊ぶ。ないものは自分で作る」ということが身についたと言う。「最近の子どもは、買ってくればいい、というのがほとんどで、こうした経験をなかなか持てないのが残念」と水川氏は嘆く。

中学時代にはモーターショーに通うようになり、高校時代にはバイクにハマるなどますます機械に魅せられていくが、一方で数学が全然できなくなってしまったとか。中学までは成績は悪くなかったが、なんとなく問題が解けるだけで、構造的に理解していなかったのだと言う。

「論理を順番に固めて答えを導き出す、頭の中の思考回路ができていなかった。今の子ども達も同じで、入試のために答えさえ出せればいいという風潮が蔓延している。数学は暗記科目だとか変な言い方をする人達もいて、公式や問題のパターンを暗記して効率的に解く訓練を予備校や問題集でずいぶんされている。だが、それでは応用力がつかない。自分の経験から言っても、基礎に戻って構造を理解し、問題の根源を理解した上で、どうしたらスマートに解けるかという意識を持つと、数学は面白くなるし、覚えることも少なくて済む」

こうした体験的な方向での教育を強化したいと強く提言しているが、挫折を経験していない人にはなかなか理解してもらえない、と水川氏は語る。

さて、数学をリセットして勉強し直し、一浪の末、早稲田大学に入学した水川氏だったが、時は「70年安保闘争」の真っ只中。ちゃんと勉強して工学を身につけよう、と反対したが多数決で大学はストに突入してしまう。授業が行われず暇なので、当時のNHKテレビ講座でプログラム言語「FORTRAN」を学び、クラブに所属して商学部が保有していたIBMの汎用コンピュータ「System/360」を使ってプログラミングを実践。これが後々大きく役に立ったそうだ。

プログラムをやったことが後々に役に立つことになる

やがて講義も再開され、大学の勉強をしていく中で、子どもの頃からの工作で工夫して体感していたことが理屈として分かっていったと言う。

「理屈だけ聞くよりも、体験してから理屈を理解した方が物事がよく分かる、ということを実感した。体験だけでは一般化できないが、現象を式で表して理解する抽象化を学んだことで、1つの事柄を理解すると、一度にさまざまな現象が説明できるようになった」

また歴史も重要で、その学問体系や分野がどういう考えの変遷で作られてきたか、ということを学ぶとその深みがよく分かる、と水川氏は語った。毎週のように神田の古書街に通っては、過去の名著を見つけて読み漁ったと言う。