年代別名曲ランキング、いかがだったでしょうか。最後にもうひとつ、おまけ的に「メンバー以外で、バンドの成功に貢献したのは誰だと思う?」という質問をしてみました。ロンドンの純粋なブルース少年たちが、そのままで世界的に成功できるはずはなく、裏側で沢山の人が貢献してくれているのです。※貢献したゲスト・ミュージシャンはあまりに多いので、除外しています

結果は以下のようになりました。

あなたがいたから、ストーンズは成功した! お世話になりました! 6人目のストーンズランキング

1位:アンディ・ウォーホル:183票
失敗できないローリング・ストーンズ・レコードの1作目『スティッキー・フィンガーズ』のジャケット・デザインを担当
2位:ジミー・ミラー:119票
1968~73年の黄金期にアルバムのプロデュースを担当。バンドがドラッグ漬けの最悪状態であったのに、傑作アルバムを何作も作り上げた
3位:イアン・スチュアート:100票
結成時からピアニスト、ロード・マネージャーとして参加。オールダムによりメンバーから除外されたが、それでもバンドを支え続けた
4位:アンドリュー・ルーグ・オールダム:97票
ビートルズのライバルとして、「不良」イメージでストーンズをセールスすることを考案。マーケティングの天才。ミック&キースのソングライティングチームを作った
5位:マリアンヌ・フェイスフル:61票
ミックと交際した当時のトップアイドル。ミック&キースの曲を彼女が歌いヒット。彼女とミック付き合うことで、ストーンズのラブソングは説得力が増した
6位:アニタ・パレンバーグ:39票
ブライアン、キースと交際。メンバーのファッションセンスに影響を与える。この人のおかげで、メンバーは一気にアカ抜けた
※n数=599

ウォーホルが1位でした。ポップアイコンとしての、ストーンズを作り出したのは彼といってもいいかもしれません。自らのレーベルを立ち上げた1発目で、あのジャケットをデザインした功績は大きいですね。

ジミー・ミラーが2位というのもいいですね。さすが、皆さんよくわかってらってしゃる。ジミーはプレイヤーとしても有能で、引き算のドラムはジミーに教わったとチャーリーは発言しています。特にドラッグのやりすぎで、レコーディングが停滞しまくった『メイン・ストリートのならず者』の頃、メンバーを鼓舞しながら(時にはチャーリーの代打でドラムを叩きながら)、がんばった功績は大きいですね。彼がいなければ黄金期の名盤の数々は世にでていなかったかもしれません。

「ホンキー・トンク・ウィメン」 (1969年)イントロのカウベルは、ジミー・ミラーが叩いてます。ちなみにこのイントロ、ドラムが入りを間違っているようでギターがはいると正しくなるという不思議なアンサンブルになっています。ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」の謎のコード同様、ロック界の不思議のひとつではないでしょうか?

そして3位は、イアン・スチュアート、通称「スチュ」。結成時の一番最初のセッションでも、真っ先にスタジオにきていたような人です。オールダムに「バンドのイメージにあわないから裏方になれ」と言われ、実際、そうしました。ロックン・ロールな乱痴気騒ぎは好きではなく、あくまでブルースをプレイすることが好きな人だったそうです。バンドが道を外さずやってこれたのも彼のおかげ、とミックが発言しています。

4位のオールダムもすごい。反骨心やラフさの大事さ、電気楽器の迫力に気づいていた彼の視点がストーンズを生み、やがてそれがストゥージズやMC5、キースが大好きなジョニー・サンダースのNYドールズを生んでいったわけですから、パンクの始祖の始祖の始祖? 

5位のマリアンヌ・フェイスフルがストーンズのラブソングに与えた説得力はかなりのものだと思います。ストーンズは歌詞の口調こそ不良的ですが、繊細な感情のひだを文学的に表現しています。それを聴くと、リスナーはミックが彼女を想って書いたものだと思えるのでいいんですよね。

6位のアニタ・パレンバーグの影響も大きいですね。スラックスにタートルネックの青年といった格好だったキースが、70年代の堕天使ロッカー的なルックスになったのは彼女の影響でしょう。このキースのスタイルを未だに現在のロッカーも真似しているわけですからね。どんだけセンスがいい人だったんだ。現在のトップ・モデル、ケイト・モスもアニタの大ファンなのだそうです。

アニタは2017年6月13日に73歳で亡くなり、キースはこのように追悼しています。キースを上回るようなワイルドな逸話を持つ人でもありますが、ほんとセンスいい人でした

最後に、皆さんのコメントご紹介

ストーンズが最高

わが青春のストーンズです。今聞いても全く色褪せていない。まさにマイヒーローです(すーさん/50代・男性)
「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」を英語の先生に教わりました(kazaguruma/50代・男性)
世代を超えて愛されている。いつ聞いてもたまらない!!(いしころ/男性・30代)
私は沢田研二さんが好きで、沢田研二さんがストーンズが好きなので、よく彼がカバーで歌っているのを聞き、親近感を持つようになりました(レモンティー/60代・女性)

ジュリーやショーケンは、初期ストーンズの格好良さに、一番最初に気づいた世代なんだと思います。しかし、当時の日本の芸能界では彼らのスピリットを表現することは許されず、ヒラヒラの衣装で歌わざるを得なかったんだと思います。後のジュリーのド派手路線にはミックの影響も感じとれますね。

忘れられない来日公演

1990年の初来日公演を2回(初日と9日目)観れた事はとても嬉しかった(クロワッサン/50代・男性)
初来日時の狂騒が懐かしいです。当時、森高千里の歌の題材になるほどの社会現象になりました(ゆー助/50代・男性)

森高さんの「臭いものにはフタをしろ!!」ですね。当時は街頭キャンペーンもかなりやっていて、たしかに狂騒的状態でしたね。東京ドーム公演での「スタート・ミー・アップ 」の火柱は、日本のアーティストが演奏する場合は許可されないレベルの高さだったそうで、某日本人アーティストが「不公平だ」と、ぷんぷん怒っていたのを覚えています。

キースが最高

キースのタバコ(アイスマン/40代・男性)
キースのテレキャス(梵天丸/40代・女性)
小学5年生でキース・リチャーズに出会い、ギターを手にして46年。ずっとファンです! もちろん、来日公演で地元・福岡に来た時は観に行きました。そこにキースがいるだけで涙が……。福岡ドームでジャックダニエルをラッパ飲み、タバコを吸いながら演奏できるのはストーンズくらいでしょ。チャーリーの事は残念ですが、まだまだ転がり続けて欲しいです(ベンジー/50代・男性)

おぉ、気持ちわかります! なんにしてもキースですよね。彼がいなければ、パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウもいなかったわけで。ファッションだけではなく、ルーツ・ミュージックを研究する求道者みたいなとこもありますね。

ミックが最高

ミックの汚い歌い方がロックン・ロールな感じでファンキー(hebo/60代・男性)
ミックの歌声がいつまでも若くて好きです。高校の文化祭で、ミックのまねして歌ったのが楽しかった(50代・女性)
ミックのカリスマ性がいい。世界初の多元衛星中継のテレビ番組で放映された、ビートルズの「愛こそはすべて」の生中継レコーディングにミックを見つけた時は印象的だった(トシくん/60代・男性)

愛こそはすべて~は日本では1967年にNHKで放送された『OUR WORLD 〜われらの世界〜』ですね。ビートルズとは仲が悪いはずなのに、なんで? と思いました。ミックの詩は言葉こそ平易だったり、ラフだったりですが、事象の劇場的解釈やメタファーなど表現技法の宝庫だと思います。あとロックヴォーカリストのステージアクション法を開発した功績もありますよね。

「悲しみのアンジー」大人気

若かりし頃、付き合っていた恋人が突然に上京すると言い別れることに。さびしさ一杯の時にふと流れてきて感動しました(PNなし/70代・男性)
「悲しみのアンジー」はたくさんの思い出のある曲で、聴くたびに失恋した時や辛かった時など色々なことを思い出させてくれる(パンナコッタ/40代・男性)
中学校の頃初めて聴いて以来、どこか懐かしさを感じる良い曲だと思います(じじた/40代・男性)

日本人の琴線にふれるアンジー。呼びかけるようなミックの歌い方もいいですよね。

もう一度観たい!

ミックのソロコンサートで、日本で見るのは最初で最後と思ったら、ストーンズで来日。以降、嬉しい誤算で来日してくれたけど、コロナとチャーリーの件でもう来日はないかな。もう一度生で見たかった(PNなし/50代・男性)

そこは信じて待ちましょう! 頼むから来日してー!!