その後も上原氏は、キャラクターホームコメディーの人気作『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、後のスーパー戦隊シリーズの基礎を作り上げた『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)、宇宙規模のスケールで正義のロボットと悪のロボットの戦いを描く『宇宙鉄人キョーダイン』(1976年)、人類抹殺を目論む万能コンピューターと人類を守る巨大ロボットの激闘を描いた『大鉄人17(ワンセブン)』(1977年)、暗い過去を背負ったサイボーグ戦士が卑劣な犯罪組織に挑むハードアクション作『ジャッカー電撃隊』(1977年)、ロボットたちが人間に奉仕してお金をかせぐホームコメディー『ロボット110番』(1977年)と東映作品を連続して手がける一方で、『少年探偵団』(1975年/日本現代企画)、『小さなスーパーマン ガンバロン』(1977年/創英舎)といった実写特撮ドラマや、当時子どもたちの間で巻き起こっていたスーパーカーブームを意識した『アローエンブレム グランプリの鷹』(1977年/東映)、松本零士原作の『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年/東映)といったアニメ作品でも人々の記憶に残るエピソードをいくつも手がけた。

特撮ヒーロー作品が激減した1978年においても上原氏は『がんばれ!レッドビッキーズ』(1978年)、『透明ドリちゃん』(1978年)と東映製作の30分ドラマでメインライターを務め、時には大人を圧倒するほどの行動力、バイタリティーを備える子どもたちの冒険や試練、友情などを活き活きと描いた。『がんばれ!レッドビッキーズ』は高校バレーをテーマにした青春ドラマ『燃えろアタック』(1979年)、そして『それゆけ!レッドビッキーズ』(1980年)へと続く人気シリーズへと発展し、ここでも上原氏がメインライターを務めている。

『それゆけ!レッドビッキーズ』はテレビ朝日と東映の制作だったが、関西の朝日放送の希望で製作が延長され、第53話以降は朝日放送に移ることになった(最終回は第77話)。上原氏は、この作品のプロデューサーを務めた朝日放送の辰野悦央氏から「必殺シリーズ」に参加を呼びかけられたことがあるという。結局、上原氏が「必殺シリーズ」に関わることはなかったのだが"とても興味はあった"と後に話している。時期的に『必殺仕事人III』(1982年)のことではないかと思われる。

『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』『透明ドリちゃん』と3作で組んでいた東映の吉川進プロデューサーから、上原氏に新たなヒーロー作品の依頼があった。それがアメリカ・マーベルコミックスと東映との提携によって生み出された『スパイダーマン』(1978年)だった。『Gメン75』(1975年)や『悪魔くん』(1966年)『マジンガーZ』(1972年)など、大人向けアクションから特撮、怪奇、ロボットアニメなど幅広いジャンルをこなすベテランシナリオライター・高久進氏と交互に各エピソードを書いた上原氏は、『イナズマンF』『ジャッカー電撃隊』を思わせるハードボイルドでシリアスなキャラクタードラマを志向。スパイダー星人ガリアの故郷を滅ぼし、そして父を殺した鉄十字団・モンスター教授に復讐を果たすため、妹、弟や恋人にも秘密でスパイダーマンとなった山城拓也の"孤独"な戦いを描いた。

『スパイダーマン』では等身大ヒーローのスパイダーマンが、巨大ロボット・レオパルドンに乗り込んで巨大なマシーンベムと戦うのが大きな見せ場となった。この「等身大ヒーロー+巨大ロボット」のパターンを活かして、こんどは『ゴレンジャー』的な集団ヒーローの要素をも盛り込んで作られたのが『バトルフィーバーJ』(1979年)だった。上原氏はここでも高久氏と共同でメインライターのポジションを務め、シリアスなだけでなくカラリとした都会的な陽気さをも織り込んだヒーロードラマを追究。戦いがない日常の戦士たちが基地の中で魚を網焼きしていたり、ファッションやヘアスタイルに気を遣ったり、パチンコで捕った景品を持ちこんだりする"笑い"の部分がある一方で、敵エゴスとの戦いではみなそれぞれの得意技を駆使して闘志をむき出しにする。非常に魅力的なヒーロー像が意識されている。

『バトルフィーバーJ』のヒットにより、『電子戦隊デンジマン』(1980年)、『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)とシリーズ化され、上原氏は『燃えろアタック』や『それゆけ!レッドビッキーズ』と並行しながらメインライターとしてストーリーを牽引した。『デンジマン』と『サンバルカン』に顕著だが、上原氏が描く「悪の軍団」はいわゆる「正義のヒーロー」に対抗する意味では「悪」そのものであるが、彼らの中には悪いことをするための独自の美学が存在し、悪なりの信念に基づいて行動しているのだという。ベーダー一族のヘドリアン女王に忠誠を誓うヘドラー将軍が、宇宙の無法者バンリキ魔王のベーダー城乗っ取りを防ぐため命がけで争う "内部抗争劇"などはまさに、上原氏の考える"悪の哲学"にのっとったドラマ作りだといえる。