樫尾俊雄発明記念館の「創造の部屋」は、俊雄氏の書斎をそのまま公開したものだ。
生前、俊雄氏は、「私が魅力を感じることは、0から1を作っていくこと」と語っていた。世の中にないものを作っていこうという姿勢が、俊雄氏の発明の原点である。その姿勢にのっとって、数々の発明を生み出したのが、この創造の部屋である。
ラヴェルの「ボレロ」が好きだったという俊雄氏が、この創造の部屋で目を閉じて耳を傾けたというオーディオセットがいまも残っている。
また、この部屋の扉の上下は、風が通る隙間をわざと空けた形で設計されている。これも俊雄氏のこだわりだという。そして、ガラスのデザインにも俊雄氏の追求が生かされている。
この部屋で様々なものを発明した俊雄氏は、「必要は発明の母ではなく、発明は必要の母」という言葉を残している。
「『必要は発明の母』というのは昔の言葉。ユーザーが求めているものを作るのでは遅すぎる。ユーザーがまだ気づいていないような必要性を呼び起こす発明をしなくてはならない」とし、「いいものを創造すれば、必ず人々はそれを必要としてくれる」という強い信念のもと、数々の発明品を残してきたのだ。
樫尾幸雄副社長は、「いまある常識にこだわってしまう人が多い。ここにある発明品は、常識にとらわれない発想によって生まれてきた。14-Aもそのひとつ。ここへ来て、必要性を呼び起こす発明とは何かというものを感じ、それを自らの仕事や生活に生かしてもらえるきっかけになればありがたいと考えている」と。そこに、樫尾俊雄発明記念館の役割がある。