正確な動作は計算機の命だ。デジタル回路で構成された14-Aの演算回路は、14桁のすべてが直列回路で結ばれている。万が一、リレー素子のうち1つでも接触不良が発生すれば、全体が動作をストップして誤計算を防ぐ。
独自開発のリレーは、接触の信頼性を高めるため端子接点を双子構造とし、残留磁気による磁化を防ぐため接極子に0.1mmのステンレス板を溶着。さらに耐久性を高めるために接極子は支軸を通して動作させ、端子板は駆動板を介して動作させるようにした。
14-Aに搭載されているリレー素子。このリレー素子がぎっしりと、14-Aの内部に配置されている(写真右、リレー部分の拡大)。14-Aのリレー素子は341個だが、1万個以上のリレー素子を用いた大型計算機と同等の計算ができた |
「リレーは電磁石で接点を動かし、ON/OFFを行う。その際に残留磁気によって、接点がくっついたまま動かなくなるという問題があった。サービス部門が現場でセロハンテープを貼ったところ、空間ができ、接点が戻るようになるということを発見した。その経験をもとに、接点に磁化しない薄いステンレス板をスポット溶接したことで、信頼性を高めることができた」(樫尾幸雄副社長)という。
リレー素子の開発に直接携わった樫尾幸雄副社長は、「当初はかなりトラブルも発生した」と明かしながら、「1つだった接点を後に双子構造へと改良するなど、日に日に安定性が増していった。初期の14-Aと、その後の製品では、信頼性には大きな差があった」とする。まさに手作りで改良を加えていった様子がよく分かる。
14-Aは、その性能の高さと安定性が評価され、様々な場所で利用された。
導入先には、各省庁、県庁や市役所、国鉄(現在のJR)、商工会議所、天文台のほか、銀行、生保、新聞社、建設会社、製鉄所、造船所、自動車メーカー、紡績会社、製紙会社、運送会社、製薬会社などの名前が並ぶ。性能の高さだけでなく、オフィス内に設置しても、リレー式のなかでは音が静かであること、筐体がコンパクトであることも導入を促進する理由になったという。
樫尾俊雄発明記念館に展示されている14-Aは、埼玉県のとある建設会社の倉庫に眠っていた実機を再生したものだ。
この建設会社は、当時の米国ジョンソン基地(現・航空自衛隊入間基地)での将校住宅の建築を請け負っていた。それまでそろばん頼りだった米国人相手の外貨計算、フィート計算、経理計算にも14-Aを活用し、業務の効率化を図ったという。大手企業だけでなく、地域の中堅企業にも広く導入された計算機だったことを示すものだといえよう。14-Aの価格は、48万5,000円。当時の小型自動車並みだったが、高い性能とコンパクトなサイズが好評を得て、快調に売れていった。
14-Aの再生にあたっては、かつて14-Aのサービス担当だった元社員が直接作業を行ったという。80歳近い年齢をむかえていたこの元社員は、ふたつ返事で再生作業に取り組むことを承諾。約1カ月間をかけて、かなり傷んでいた14-Aを甦らせたそうだ。動く形で再生できたことは、この元社員の協力なしには実現しなかったものだといえよう。