その先の壁に並ぶ8点の絵画は、「夜の庭」と題された第5のセクション。1940年代以降、日本では公の場で発表することが難しくなったシュルレアリスム作品だ。一枚目に掲げられた「夜の花」(1942年)は、「池袋モンパルナス」と呼ばれた若手芸術家集団の中心的人物で、日本のシュルレアリスムの代表的作家である寺田政明(1912-1989)の作品だ。余談だが、テレビや舞台で活躍する俳優・寺田農は、政明の息子である。

写真左)寺田政明《夜の花》1942 油彩/カンヴァス 東京都現代美術館蔵

写真上)「夜の庭」セクションには、日本のシュルレアリスム作品が並ぶ

マティスの『ロンサール恋愛詞華集』挿絵の展示場も自然光にあふれている

漆黒の闇の中で、グロテスクな存在を顕示するかのように咲き乱れる花たち。日本は、軍部の独裁から一気に戦争に向かった時代の最中にあった。シュルレアリスムの仲間たちが検挙されるという重苦しい空気の中で、息をひそめるかのように描かれたのだろう。茶色く枯れた花びらは、悶え苦しむ死人の顔にも見える。この作品が公開されたのは、実に戦後十数年を経てのことだった。

同じ部屋には、国こそ違うが、戦争という同じ状況を生きたアンリ・マティス(1869-1954)の作品で綴る第6セクション「閉じられた庭」が広がる。展示されているのは、1940年代に入りマティスが取り組んだ『ロンサール恋愛詞華集』と『シャルル・ドルレアン詩集』の挿絵だ。「夜の庭」の重苦しさとは一転して、マティスらしい単純な線と明るい色彩が楽園のような空間を作り出している。同じ時代、洋の東西で芸術家たちはそれぞれの戦いに挑んでいた。

左頁はフランス王家の象徴・百合のモティーフ、右頁はマティス手書きの詩が連なる『シャルル・ドルレアン詩集』

腐食銅版画家の第一人者・中林忠良の「転位」シリーズ。正面が腐食過程を追った実験的な作品

1940年、パリはドイツ軍によって陥落した。すでに古稀を迎えていたマティスは、海外へ逃れることはフランス文化の流出を意味すると南仏にとどまり、これらの挿絵に取り組む。いずれの詩集も、マティスにとって偉大なるフランス文化の象徴だったに違いない。ナチスによる侵略、自らの病い……、幾重にも重なる閉塞状況は、まさに「閉じられた庭」だった。だが、その中でマティスはイメージを飛翔させていった。「閉じられた庭」で顔を覗かせた芽は、やがてヴァンスのロザリオ礼拝堂の空間へと花を開かせることになる。