第3部「サーカス─色彩の輪舞」は、シャガールの重要テーマのひとつであるサーカスを題材にした作品を、また第2会場に展示された第4部「シャガールの版画─人生の物語」と第5部「シャガールの版画─神々の物語」では、多くのすぐれた版画作品に接することができる。これらのゾーンでいずれも見逃せないのは、挿絵本のすばらしさだ。「画家にして版画家」とまで称されるシャガールの本領に出合える。
色彩あふれるサーカスは重要な主題のひとつ。左から「楽士(バラ色の背景)のための習作」、「女曲芸師」、「サーカス(灰色の背景)のための習作」 |
きらびやかなサーカスの裏側に見える人生の深遠に、シャガールは深く共感していたという |
シャガールは『シャガール わが回想』を出版するにあたり、その挿絵をモノクロームの銅版画で制作した。その出来栄えが目にとまり、ゴーゴリの『死せる魂』やラ・フォンテーヌの『寓話』、『聖書』などの挿絵に相次いで取り組む。だが、当時はモノクロームの銅版画だった。版画の世界に色彩を持ち込もうと考えたシャガールは、版画に自ら彩色したほどであったという。
シャガールは数多くの挿絵本を残した。この「マルク・シャガールへの手紙」は、ポーランドの詩人フィツォフスキの手紙にシャガールが5点の挿絵を付したもの |
今回の展覧会には、シャガールの手になる挿絵本が10点出展された。写真は「仙境と王国」 |
だが、やがて高度な版画技術を持ったムルロ工房との出合いが、自在に色彩を重ねることを可能にした。当時単色か2色がせいぜいだったリトグラフを、この工房では好きなだけ色を重ねることができたのだ。シャガールは一枚の版画に20色から25色もの版を重ねるカラー・リトグラフによって、特有の幻想的な色彩世界を生み出していく。挿絵本の最高傑作といわれる『ダフニスとクロエ』をはじめ数々の挿絵本の名作がこうして誕生した。カラー・リトグラフへの取組みは、最晩年まで続けられた。
『「アラビアン・ナイト」からの四つの物語』は、恋人ヴァージニアに支えられ、ニューヨークで取り組んだ初のカラー・リトグラフ |
挿絵本の最高傑作と言われる『ダフニスとクロエ』は、20色から25色の版を重ねた。左から「クロエの判断」、「狼を捕える罠」「牧場の春」 |
会場では、その挿絵本『ダフニスとクロエ』(1961年刊)や、『「アラビアン・ナイト」からの四つの物語』(1947年刊)、さらには大作『出エジプト記』(1966年刊)、87歳のときに出版された『オデュッセイア』などが展示されている。いずれもこれがリトグラフかと目を疑うほどの美しい色彩にあふれ、シャガールならではの色彩美を満喫できるすばらしい作品だ。
「出エジプト記」では、自らの分身であるモーセを登場させた。右から「扉絵」、「そしてファラオの娘は、ゆりかごを開き、ひとりの男の子がいるのを見た。」 |
第5部の「シャガールの版画 ─ 神々の物語」は挿絵本保護のため、照明が厳重に管理されている |
中でも最高傑作といわれる『ダフニスとクロエ』は、じっくりと見たい。シャガールがこの本の挿絵を依頼されたのは、1949年62歳のとき。1952年ヴァヴァと再婚したシャガールは、ギリシアを旅行して構想を練る。以来、習作を重ね、リトグラフ制作にとりかかったのは5年後の70歳のとき。実際に刊行されたのは、依頼から12年後の1961年。シャガールは74歳を迎えていた。
故郷という個人的な「私」世界から始まったシャガールの物語は、数々の喜びと試練を乗り越えて、ついには壮大な神々の物語へと広がっていった。その魂の歩みを、この展覧会は観る者に追体験させてくれる。「本も絵画もすべて私だ」と言い放ち、言葉で、色彩で語りつづけたシャガールの物語。こうして言葉で絵画で、その物語に同時に接すると、芸術家が伝えようとした真の思いに、より近づけた気がした。