「愛の花束」と題された第2部ゾーンには、裸で椅子に横たわるベラを描いた「休息、ベラと花」(1930年)、抱擁しあう幸せな恋人同士を描いた「恋人たちとマーガレットの花」(1949-1950年)、パリの街並みを見つめるシャガール自身を描いた「オペラ座の人々」(1968-1971年)といった華やかな作品が並ぶ。どの作品にも、必ず大きな花束が描かれているのが特徴だ。

華やかな作品が並ぶ「愛の花束」ゾーン。左から「休息、ベラと花」、「恋人たちとマーガレットの花」、右は「オペラ座の人々」

「パリの北駅に降り立つと花束のようだった」とシャガールは語った。「オペラ座の人々」(左)には、パリにやってきた自画像も小さく描かれている

シャガールにとって、花は最愛の女性であるベラ・ローゼンフェルドそのものであったと言えるだろう。出会って一目で恋に落ちた二人は後に結婚するが、裕福な家庭に育ち教養と知性にあふれたベラは、妻という以上にシャガールに霊感を与え創作意欲をかきたてる「美神(ミューズ)」ともいうべき存在であった。ベラに出会わなかったら、シャガールの芸術は違うものになっていたかも知れない。

シャガールは語っている──「私は貧しく、私の側に花などなかった。ベラが初めて私に花を持ってきてくれた。…(中略)…私にとって花は人生の至福を意味するものだ。人は花なしで生きる事は出来ない。」(『愛のシャガール・コレクション』アオキインターナショナル)。「恋人たちとマーガレットの花」に添えられたシャガールのこの言葉を読むと、シャガールがベラと花に込めた思いが強く伝わってくる。

シャガールは数え切れないほどの花を描いたが、常に花はベラそのものであり、ベラとの生活がもたらした愛と幸せを象徴するものだったといえよう。余談だが、晩年南仏に移り住んだシャガールは、自宅の周囲を色とりどりの花々で埋め尽くしたという。「花なしで生きる事は出来ない」と語ったシャガールにふさわしい終の棲家であった。