今回の展覧会では、ポーラ美術館が収蔵するシャガールの全作品が一堂に公開された。油彩および水彩作品21点、挿絵本10点。10点の挿絵本からは、最高傑作といわれる『ダフニスとクロエ』をはじめとして、前後期の入替を合わせて200点以上の版画が展示される。すべてポーラ美術館の収蔵品だ。これらを併せ約9,500点にのぼるコレクションは、ポーラ・オルビスグループの総帥だった故鈴木常司氏が40年余の歳月をかけて収集したものだが、その質と量にあらためて感嘆せずにはいられない。

豊富な作品群を、本展覧会では5部に分けて紹介している。第1部「ヴィテブスク─シャガールの物語」は、シャガールが生涯にわたって描きつづけたロシアへの望郷の念を辿る。ロシアのヴィテブスクにユダヤ人として誕生したシャガールは、23歳で芸術の都パリへ移り住んだ後、時代に翻弄されてフランス、ロシア、アメリカを転々とする。しかし、故郷ヴィテブスクへの深い愛情は生涯変わることなく、その風景や人々の姿を描き続けた。

このゾーンでは、代表作「私と村」(1923-1924年頃)、最初の妻ベラとの結婚の喜びにあふれた「町の上で、ヴィテブスク」(1915年)、故郷の何気ない朝の風景を描いた「村のパン屋(イズバ)」(1910年)といったおなじみの作品に、早々と対面することになる。早くも色彩と幻想に満ちたシャガールの世界に迷い込んだ感じだ。

会場のポーラ美術館は、明るい光にあふれている

絵画と並んでシャガールの言葉が展示されている。中央奥は名作「私と村」

たとえば「村のパン屋(イズバ)」は、シャガールがパリに出てほどなく描かれた作品だ。鮮やかな色彩の対比や、三角形や四角形で構成された幾何学的な描写に、当時パリで流行したゴッホやキュビズムの影響がうかがわれるとされる。だがテーマはあくまで故郷の懐かしい風景だ。小さなパン屋で、男がパンを買い求めている。

この絵については『シャガール わが回想』にこんな一節が残されている。「……籠はあっという間に焼きたての格好な三日月パンでいっぱいになる。朝、私は喜んでそれを買いに走り、ほかほかの三日月パンを二つ両手にして得々と持ち帰る。」(『シャガール わが回想』三輪福松、村上陽通訳・朝日新聞社)。カンヴァスの中央で待ちきれぬかのように手を差し出す男は、シャガール自身だろうか。画家の言葉を味わいながら、もう一度カンヴァスに目をやると、シャガールの故郷へのあふれる思いがさらに強く伝わってくる。

故郷ヴィテブスクを描いた作品の数々。「ヴィテブスクの冬の夜」(右)には、愛するベガとの結婚の思い出が描かれている

左手が故郷の風景を描いた「村のパン屋(イズバ)」。シャガールの故郷への思いがあふれている