大成功の陰で育んでいたオンラインゲームへの野望

ジェットコースターのようなビジネス人生とは裏腹に、史氏は極めて静かな性格とされる。プライベートでは友人も少ないとされる彼は、暇をみては歴史書を読むか、オンラインゲームをプレーするというシンプルな生活を送っていると言われている。

2004年10月、新聞記者の取材に対し、史氏は、「暇な時に、(当時中国最大のオンラインゲーム企業でNASDAQ上場の)上海盛大網絡発展のオンラインゲームをプレーしている。オンラインゲームの世界には高低貴賎の区別がなく、悩みもない」と語ったことがある。ビジネス界の猛者にとっては、オンラインゲームが癒しの空間となっているようだ。

また、「脳白金で6年間に10数億元もの富を作ったが、その成長ぶりはまさに驚異といえるのではないか」と新聞記者が問い掛けると、史氏は、「盛大の創業者兼会長である陳天橋氏にはとても及ばないし、同じレベルと言えない。彼のほうがずっとすごいね」と応じたという。この逸話からは、史氏が保健薬品よりオンラインゲームに強い愛着と魅力を感じていた、と見ることもできる。うがった見方をすれば、彼の心の奥底にはその時点で、既に陳天橋氏、そして盛大へのライバル意識が潜んでいたと言えそうだ。

尊敬する陳氏から「英雄年代」開発チームを引き抜く

2004年11月、史氏は、巨人投資から2億ドルを投じ、上海征途網絡科技(以下、征途網絡)を設立、本格的にオンラインゲームの世界に進出した。

史氏はオンラインゲーム市場へ進出する前に陳天橋氏に会っている。陳氏は、独自の文明観を打ち出したMMORPGである、自慢の「英雄年代」ゲームの開発チームを史氏に紹介した。史氏はその後、このチームを丸ごとかっさらい、大金を稼いだ。中国のオンラインゲーム業界では、征途網絡が独自開発したMMORPGの「征途」は、内容のほとんどが「英雄年代」と変わらないとの見方がある。中国の実業界でも、競合相手の足場をここまで仁義なしに切り崩すやり方は嫌われる。このため、史氏の荒っぽいオンラインゲーム市場進出は、いまだに業界で語り草になっている。ともあれ征途は2005年末には最終テストに入り、2006年3月、正式にリリースされた。

征途網絡はプレーヤーに対し、征途のプレー時間を永久に無料開放すると宣言した。だが、これはビジネスである。当然、からくりがあった。プレータイムは無料化されても、プレーヤーはゲームに使われる「武器」や「道具」を買わなくては楽しめない。

成長性の高い中小都市にターゲット、過去最高のユーザー数獲得

征途網絡の損益状況をみると、2006年の第1四半期こそ赤字だったが、第2四半期は4,396万元(約6億4,500万円)だった。これに対し、2007年上半期の利益幅は6億8,700万元(約100億9,200万円)となり、対前期比の利益増加率が、非常に高いことが分かる。

高い値段でプレーヤーに武器や道具を売ることで、暴利をむさぼっているとの批判も一部で浴びせられたが、征途網絡は極めて短期間のうちに、中国で利益率が最も高いオンラインゲーム企業になった。ある意味、盛大の陳氏が6年かけて到達したところに、史氏は3年も経たないうちにたどり着いたのだった。

征途のプロモーションや市場開拓にあたっても、史氏は数千名の営業マンを動員し、成長性の高い中小都市において広告キャンペーンと強力な売り込みを展開した。まさに、脳白金と黄金搭●で成功した手法に通じる。IT関連の調査会社であるIDC中国の統計によれば、今年第2四半期の征途のユーザー数は過去最高の107万人、1日平均の同時オンライン数は51万5,000人となり、いずれも中国オンラインゲーム業界の史上最高を記録した。