過去の失敗を意識した社名の新会社を設立

しかし、ここで終わらなかったのが史氏のすごいところだ。大失敗の原因となった巨人ビルが着工された1994年、同氏は国内外の数十名の経営に関する専門家に、次の世紀で最も繁栄する産業が何かとアドバイスを求めたところ、大多数から「バイオテクノロジー」という回答を得たという。これに基づき、巨人集団はバイオテクノロジー分野に進出し、保健薬品の研究開発を始めていった。

1997年後半、「脳白金(ナオバイジン)」と呼ばれる保健薬品の開発に成功した。脳白金の成分は実際のところ、米国などでは普通に使われているメラトニンであった。史氏はこの脳白金を「中高年向け健康薬品」と銘打って売り出した。

財政状況が非常に厳しかった巨人集団は、50万元を借り入をれて脳白金の量産体制に入り、1997年末に40万元の売上を上げた。その後脳白金は国内の健康志向ブームにも乗り、1998年から売上が急増。1999年12月には売上高が累計1億元(約14億7,000万円)を超え、純利益も3,000万元(約4億4,000万円)に達した。

同年末、史氏は脳白金の製造と販売を専門におこなう上海健特生物科技(以下、「上海健特」)を設立。「健特」を中国語で発音すると「jian te」。巨人の英訳は「Giant」だから、相通ずるところがある。史氏は会社名をつけるときに巨人集団とその失敗を忘れたくなかったのかもしれない。ともあれ、2000年には脳白金の年間売上高は10億元(約146億9,000万円)にまで膨れ上がり、中国国内における保健薬品の単品売上高でダントツのチャンピオンとなった。史氏は手痛い失敗から3年にも経たないうちに、中国で「一度大失敗した人が大成功する」ことを意味する「東山再起」を実現。再び中国のビジネス界で最も注目される人物の1人となったのである。

連続5年間、「中国広告ワーストテン」に

上海健特の急激な成長と脳白金の売上高急増は、広告攻勢に負うところが多かった。1997年後半から販促部隊が中国各地、特に中小都市で販売体制を整備しつつ、激しい広告攻勢をかけた。なかでも旧正月と中秋節には、人々から反感を買うほど徹底的な宣伝キャンペーンを張った。

中国語で「今年のお正月はプレゼントを受け取りません、受け取るなら脳白金だけ」を意味する「今年過年不収礼、収礼就収脳白金」というキャッチコピーを打ち出したテレビ広告は、1999年~2004年までの連続5年間、「中国広告ワーストテン」に選ばれたが、調子の良いテーマソングと可愛らしい老夫婦がツイストで踊るCMは、いまでも中央電視台(CCTV)から地方テレビ局まで、全国津々浦々2,000局において放送されている。

2001年、史氏は巨人集団時代の借金を完済。同年、史氏は持株会社である巨人投資を設立、上海健特をその傘下においた。2002年夏から上海健特は、子供向けの保健薬品である「黄金搭●」の販売を開始した。脳白金をほうふつとさせる強烈な広告攻勢でこれも大ヒット。2003年の年間売上は5億元(73億4,500万円)にも達した。

●は木へんに当、以下同様

こうした成功の一方、脳白金と黄金搭●での販売増によって、お年寄りと子供を意味する「弱勢群体(本来は社会的弱者の意)」から荒稼ぎをしているとの批判を受けることにもなった。2004年には、史氏は上海健特の75%の株式を売却。無錫にあった脳白金の工場も売却したが、同氏はこれで少なくとも10数億元(約146億9,000万円)の収入を得たと言われている。