神楽坂淳氏原作の人気ライトノベル『大正野球娘。』(トクマ・ノベルズEdge)。2009年7月からはTVアニメも放送されるなど幅広いメディア展開が行われている本作だが、2009年10月29日には、『大正野球娘。~乙女達乃青春日記~』としてプレイステーション・ポータブル向けのアドベンチャーゲームとなって登場する。
原作者監修のもと、オリジナルストーリーが展開するPSP『大正野球娘。~乙女達乃青春日記~』。今回は、ゲーム用オリジナルテーマソング「kissing a dream」を担当する今井麻美が語った、本作の印象やテーマソングの聴きどころ、レコーディング時の裏話などを紹介しよう。
今井麻美が語るPSP『大正野球娘。』主題歌「kissing a dream」
――楽曲の話を伺う前に、『大正野球娘。』という作品についての印象を教えてください
今井麻美「今でこそ女の人が野球をしてもあまり違和感はないかもしれませんが、時代背景が大正となると、どれだけハードルが高かったのだろうって印象が強いですね。登場する女の子たちは、すごい可愛らしい感じの女の子なのですが、世間からはいろいろな目で見られたと思うんですよ。でも、そういうものに立ち向かっていくというイメージがすごくありましたね。一番最初にタイトルを聞いたときは"青春モノ"という印象が強かったです」
――『大正野球娘。』は、女の子の青春をテーマに描かれている作品ですが、今井さん自身の青春時代の思い出といえば?
今井「最近思うんですけど、実は今が青春時代なんじゃないかなって感じています(笑)。よく、人より10年、すべてのものが遅れていると言われまして、自分でもそのように思っているところもあるのですが、いろいろな歌を歌わせてもらったり、いろいろなお仕事をさせていただけるようになった今が、青春だなって感じています」
――青春真っ盛りな感じですか?
今井「割と今がピークなのではないかと(笑)。でも、ここから先、未来はわからないので、まだまだピークじゃなかったって思っていけるようにはしていきたいですね。ただ、オーソドックスに"青春時代"というと、やはり高校生時代かなって思います。私は部活動で弓道部に入っていたのですが、弓道部に入った理由が……」
――袴がはける?
今井「それもありますね(笑)。憧れていましたから。実は家族が弓道をやっていたので、よく大会などを観にいったりしていたんですよ。それで、袴をはいている女性が、めちゃめちゃカッコよくて、本当に凛々しくて、『あぁ、カッコいい』って憧れていました。実際に弓道部に入って感じたのは、弓道って、半分文化部みたいなところが私にピッタリだったなってことですね(笑)。走り込みなどはあまりなかったので。運動はあまり得意ではなかったんですよ。瞬発力とかはわりとあったんですけどね」
――運動は得意そうに見えますけどね
今井「本当ですか? 割とダメですよ(笑)。なので、半分運動部、半分文化部という、いい感じのバランスの弓道を3年間楽しみましたが、やはり仲間に恵まれたことが一番よかったと思います。今でもそのころの友だちとは連絡を取り合っているのですが、あのときの友だちがいてくれるから、今の自分がいるんだと節々に感じることがあります。そういった意味でも、この『大正野球娘。』の女の子たちも、仲間たちとすごく楽しんでいるのではないかと思います」
――今井さん自身がもしも大正時代に行ったらやってみたいことはありますか?
今井「大正時代は、近年でいえば、一番日本の中で動きのあった時代ではないかと思うんですよ。いろいろな国からいろいろな情報や物が流れ込んできて……、それを取り入れる人もいれば、取り入れない人もいたと思うのですが、いざ自分がその波の中に置かれたとき、私はその波を取り入れる側か、取り入れない側かということを考えると、たぶんですけど、取り入れない側だったと思うんですよ。伝統を守ろうとか、そういったもの大事にしてしまうタイプの考え方をしてしまうような気がします。なので、もし今の自分が大正時代に行くとしたら、あえて、いわゆるモガだったり、時代の先端をいく女性たちを、体験してみたいと思いますね。もし私がその時代に生まれていたら、絶対に体験できていなかったと思います。10年遅れているので(笑)。大正時代って15年くらいしかないじゃないですか。だから10年遅れていたら、あと5年しかないので、『あ、しまった。乗り遅れた』って、きっとなっていたと思います」
――なるほど。そうなると『大正野球娘。』のキャラクターでいえば、今井さんはハカマをはいている側のキャラクターですね
今井「そうですね。ハカマ派だったと思います。まちがいなく(笑)。セーラー服に憧れているんですよ、絶対的に。可愛いと思っているのに、手を出せないタイプなんです。ちょうど私は、体操服が激動のときに青春時代を過ごしていたんですよ。ちょうどブルマではなく短パンをはいてもいいよっていうお触れが出たぐらいの年代なんですね。だいぶ年がわかりますね。まあ、地方性もあるので、何となく想像してください(笑)。そうすると、すぐに短パンをはく子と、ブルマのままの子がいたんですけど、私は結局最後までブルマのままだったんですよ。何となく、手を出してはいけないんじゃないかって気がしまして……。おかげで私の高校3年生のときの卒業アルバムは、恥ずかしながらブルマの写真が大量に載っているという残念な結果に終わりました(笑)。なので、新しいことに挑戦すべきだったなと今は思っています」