注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、17日にスタートするフジテレビ系バラエティ番組『この世界は1ダフル』(毎週木曜21:00~ ※初回20:00~2時間SP)で演出を務める制作会社・イーストの小宮泰也氏だ。

32歳という若さで同年代に「テレビ離れ」を感じるものの、「テレビが一番すごいコンテンツ」という思いを持って制作に臨んでいる同氏。『この世界は1ダフル』では、MCに幼なじみの渡辺翔太(Snow Man)も迎え、「琴線に触れる」VTRで初めてのゴールデン帯レギュラー演出に挑む――。

  • 『この世界は1ダフル』演出の小宮泰也氏(イースト)

    小宮泰也
    1992年生まれ、東京都出身。大学卒業後、15年にイーストへ入社し、『奇跡体験!アンビリバボー』『平成教育委員会』(フジテレビ)、『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京)でAD、『セブンルール』(カンテレ)、『痛快TVスカッとジャパン』『ボクらの時代』(フジ)でディレクター、『イワクラと吉住の番組』(テレビ朝日)、『全国ボロいい宿』(TBS・HBC)、『Snow Manが豪邸でシェアハウスしてみた』(テレ東)、『わたしの通学ロード』(カンテレ)で演出を担当。乃木坂46が出演したドラマ『古書堂ものがたり』(Lemino)でプロデューサーを務める。10月からは『この世界は1ダフル』(フジ)、『SEVEN COLORS』(TBS、Lemino)の演出を担当。ぱーてぃーちゃん・金子きょんちぃのYouTubeも手がける。

「安心する声」でゴールデン帯に勝負

――当連載に前回登場したナレーターの服部潤さんが、小宮さんについて、「『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京)という番組にADで入ってきたのが出会いで、そんなに才能があるように見えなかったんですけど(笑)、ちょっと最近すごいです」とおっしゃっていました。

おそれ多いです。誰にバトンつないでるんだって話ですよ(笑)。自分がディレクターになって演出をやるようになってから、ご飯に行かせてもらうようになって、めちゃめちゃ良くしていただいてます。チーフADになって初めて服部さんでナレーションを録らせてもらった頃から「頑張れよ、ビッグになれよ」と声をかけていただいて。そのときはキュー(合図)をミスしまくったことを覚えています。

――『ニッポンのミカタ』の後も、いろんな番組でご一緒されているのですか?

その後はしばらく仕事をしてなかったんですけど、先輩の結婚式ビデオのナレーションを服部さんがやって、その時に「あのときの小宮か!」と3年ぶりに再会して。そこからフジテレビの『8フューチャー∞』(23年)という特番など、自分が演出になったときにお願いしています。

――そして、今回の新番組『この世界は1ダフル』でも、服部さんがナレーションを担当されていますね。

特番が金曜23時という良い枠だったので、チーフプロデューサーの堀川香奈さんと「ゴールデンを見据えた座組にしたい」と話をした時に、僕の中では服部さん一択でした。やっぱり誰もが聞いたことのある声なので、服部さんにLINEしたら「やるに決まってんだろ」と返ってきて(笑)

――とはいえ、服部さんはいろんな番組でやられているじゃないですか。制作者としては個性を打ち出したいという考えもあると思うのですが、そこはどのように判断したのですか?

やっぱりゴールデン帯の番組なので、聞いたことがあって安心する声にお願いしたいと思いました。僕みたいな若手は、そんな王道はみんな避けて通る道なんですけど、かなり気合いの入った番組なので、ここは服部さんで勝負したいと。深夜だったら、違う人に頼んでいたかもしれないです。

「変態」と言われるほどのドラマ好き

――テレビ業界は、どのような経緯で目指したのですか?

僕、自分よりテレビっ子に出会ったことないぐらい超テレビっ子だったんです(笑)

――フジテレビの中嶋優一編成部長が「テレビをどうしても作りたくて、小さい頃から研究に研究を重ねて32歳と思えないほど良質な番組を作られる方です」とおっしゃっていました。

この連載でも皆さんが挙げられている『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)とか、『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』(同)とかバラエティもみんな見てるんですけど、ドラマがとにかく大好きで。小中高生の頃は、全ドラマの1話を予約録画してたんですよ。1話を全部見て、面白かったら2話を見る。毎クールサバイバル方式で見ていて、面白いのだけ生き残るみたいなことをやってました。

さっきも会議で、「夏曲と言えば大塚愛の『PEACH』だよね」みたいな話になって、「あれって何年前の曲だっけ?」とプロデューサーが聞いてきたので、<「PEACH」→ドラマ『花ざかりの君たちへ』ED曲だから2007年。ちなみにそのあと22時からフジは『牛に願いを』、日テレでは『探偵学園Q』が裏で、当時の火曜夜は大忙しでした>って連想ゲームをしてたら、「お前本当に変態だな」って言われて(笑)。でも、それくらいドラマを網羅していました。

――頭の中で年表が全部ドラマにリンクしてるんですね(笑)

なので、もう自然とテレビ業界を目指していました。それで、大学3年生のときにワタナベエンターテインメントの養成所の放送作家コースに気軽な気持ちで受けて、1年通って卒業して、ライターズ・オフィスという作家の事務所に声をかけてもらいました。そこから1年間、先輩作家の下でテレビ番組のリサーチをやってたんです。でも、大学4年なので「すいません、就職活動するんで辞めます」と言ったら、当時の代表の人に「どこの会社入りたいんだ?」と聞かれて、「イースト」って答えました。

――テレビ局ではなく。

テレビ局に入ったら、営業とかに配属されて制作ができないかもしれないじゃないですか。僕、スーツを着たくなかったので制作会社がいいなと思って、大手制作会社だからと思って生半可な気持ちで「イースト」と言ったら、次の日にこの連載にも出ている角井(英之『奇跡体験!アンビリバボー』プロデューサー)のところに連れていかれて、「明日からうちでバイトしない?」と誘われ、翌日から『アンビリバボー』のADをやり始めました。それから2週間家に帰れなくて、正直そこが人生1大変でした (笑)

――今ではなかなかないハードな働き方ですが(笑)、それでも楽しかったんですね。

そうなんですよ、なぜか超楽しくて! 会社にディレクターがいたら絶対に帰らない、みたいな意地の張り合いをADみんなでやっていて、切磋琢磨していました。今でこそあり得ない働き方ですが、本当に濃いバイト生活で、そこでぐんと経験値が上がりました。

――良くない風習(笑)。『アンビリバボー』ということは、いきなり(ビート)たけしさんの番組ですね。

実は、たけしさんのストーリーテラーのパートを担当していたんです。だから、バイトして初めての収録で初めて会った芸能人が、たけしさんだったんですよ。「マジかよ!」と思った上に、先輩がみんなロケに行ってて、カンペも出さなきゃいけなくなっちゃって(笑)

バイトで入ってまだ1週間で震えながらカンペを出したら、一文字目を指で隠しちゃってたんです。それで本番を回したら、たけしさんが「なんて書いてあんだ? それ」ってこっちに歩いてきて、「申し訳ないです!」って出し直したんですけど、「いいよいいよ」と言ってくださって。後で、周りのスタッフにはめちゃめちゃ怒られたんですけど、最初の失敗がそれだったので、もうそれから怖いものはなかったです(笑)

――入社してからはどのような番組を担当されていくのですか?

1年目は『たけしのニッポンのミカタ』と『痛快TVスカッとジャパン』(フジ)などで、2年目で『セブンルール』(カンテレ ※)の立ち上げの時にチーフADで入りました。

(※)…7つのルールから話題の女性の人生を映し出すドキュメンタリー番組