――ディレクターデビューはいつですか?

2年目ですね。

――早いですね!

入社してからADなのにバカみたいに企画を出していたんです。会議で見もされないんですけど、「とにかくディレクターをやらせてくれ!」っていう、今思うと超生意気で、面倒なやつでした。そのせいで誰にもハマらなくて(笑)

そしたらある時、うちの松本(彩夏『セブンルール』プロデューサー)が、話したこともなかったのに「この子面白いから」って拾ってくれました。そのまま『セブンルール』の立ち上げに呼んでくれて、「そんなにディレクターやりたいならやっていいよ」と言ってくれたんです。それで、当時まだ全然有名じゃなかった乃木坂46の齋藤飛鳥さんの密着をやらせてもらったのが、初めてのディレクターです。

――あの番組でタレントさんに密着するのは、まれですよね。

松本に「せっかくのディレクターデビューなんだから、小宮が今一番おすすめする子に密着していいよ」と言われて、「齋藤飛鳥ちゃんってどうですか?」と提案したら、会議で30人いた大人たちが誰も知らなかったんです。でも、番組として話題性が欲しいと言われていたので、「絶対ネットで話題になります」と企画書を作って、全員の前でプレゼンしたら通って。振り返ると、実力未知数のAD2年目に1本オンエアを任せるって、ありえないですよね(笑)

あの頃は上が詰まっていてずっとADをやり続けなきゃいけないのか…と思っていたので、この密着がなかったら会社を辞めていたかもしれないです。

――ターニングポイントになった番組ですか。

そうですね。『セブンルール』は30分番組なんですけど、実尺が20分ぐらいで、何百時間もカメラを回すんですよ。それで7個のルールを本人と話しながら決めていくんですけど、最後の7個目のルールはゴールが何百パターンにもなるので、すごく悩むんです。初めてのディレクターだったので、齋藤さんとも何度も議論しました。この人の魅力がどうしたらそのまま伝わるんだろう…と7個目のルールの3分弱のVTRを50パターンくらい作りました。それを1日かけて吟味して、いろんな計算や方程式をとにかく考えて、音楽も自分で選んで乗せて「これだ!」と思ったのをプロデューサーの松本に見せたんです。

そしたら、松本は普段めちゃくちゃ辛口なんですけど、深夜に電話してきて「VTRめちゃめちゃ良かった! 齋藤飛鳥ちゃんってめっちゃ素敵な子じゃん!」と言われまして、その時のうれしさがいまだに印象に残っています。今でもこの熱を忘れずに番組を作ってますね。

――7個目のルールは「乃木坂46で輝く」ですね。

ベタなんですけど、考えに考えてパターンを作った結果、そのルールで終わるのが一番しっくりきました。齋藤さんは普段OAを見ないらしいんですけど、この放送は見てくれてたみたいで、今でも会うたびに『セブンルール』の話をしたりします。

  • 齋藤飛鳥

――松本さんは、いわば師匠のような存在でしょうか。

うちで言うとそうですね。松本は自由にやらせてくれるんです。「こいつ何言っても聞かないから、勝手にやっていいよ」って。でも、「結果を出すことが条件だから」と。そんな感じで20代の時から自分の班を作ってもらい、楽しくやらせてもらっています。逆に、よく揉めるので基本的にはお互い一緒に仕事はしないようにしてます(笑)

――それからキャリアを重ねて、初めて通ったご自身の企画は何ですか?

『理由を聞いたら好きになる』というフジテレビの深夜番組で、フジの温井精一さんと作家の清山智之さんと通した特番です。今回の『この世界は1ダフル』が自分の企画で初めてのゴールデンレギュラーになるのですが、「戦友」でもある温井さんと清山さんにも番組に入ってもらってます。

『この世界は1ダフル』誕生のきっかけは、すがちゃん最高No.1

――『この世界は1ダフル』は、どのようなきっかけで企画されたのですか?

企画を思いついたのは3~4年前ぐらいです。元々、芸人とシェアハウスしていて、メンバーは当時全く無名だった、ぱーてぃーちゃんのすがちゃん最高No.1、リンダカラー∞のDen、ミスター大冒険。の井福一本道とりょうせいというメンバーで住んでました。今でこそ、みんなテレビで活躍し始めたのですが、当時は全く売れてなくて。でもめちゃめちゃ面白くて、毎日夢を語り合って、飲んで、遊びに行って…本当に家族みたいな感じで。

そんなある時、すがちゃんから「明日この家に、とんでもない面白コンビが来ます」っていう振りがあったんですけど、そんなこと言うのは珍しくて。それでやってきたのが、後にぱーてぃーちゃんとなる、信子と金子きょんちぃの「エンぷレス」という女コンビだったんです。本当に2人とも個性が強すぎて、めちゃめちゃ面白くて。「なんで全く世に出てないんだろう」と思いました。結局、きょんちぃに関してはそのまま1年くらい一緒に住んでいて、後にその家から「ぱーてぃーちゃん」が生まれるドラマもあったりもして。

無名でこんな面白い芸人がいるって、ネットで調べても出てこないじゃないですか。当時2人はテレビに出たことさえなかったんです。でも、絶対売れる!と思った時に、これって鉱脈だなと。つまり、めっちゃ面白いと思ってたすがちゃんが選ぶ面白い人が間違いないんだから、一流の人が選ぶすごい話も、ネットに上がってないものが出てくるんじゃないかと思って。そこから「1ダフル」というワードを思いついて、ブラッシュアップしてフジテレビの堀川さんに持っていったら「小宮くん得意そうだからいいじゃん!」と言ってくれて、編成に出したら通ったんです。

――堀川さんが「小宮くん得意そう」と感じたのは、どのような部分でしょうか?

再現ドラマなどVTRもののところですね。僕は、生放送以外のジャンルは、ドラマもスタジオショーもドキュメンタリーも経験しているので、そこを評価していただいたのかなと。 なので、堀川さんには感謝しかないです。

――そして実際にいろんな一流の人の話を聞いてみたら、すごい話がいっぱい出てきたんですね。

ディレクターや作家さん、リサーチャーさんに面白そうな一流の人を挙げてもらって、実際に話を聞きに行って進めていくのですが、出てくる話が全部面白かったんです。刑事さんが挙げる事件や弁護士さんが挙げる裁判は、テレビはもちろん、どこにも出たことのないネタだったりするんです。どの番組でも、リサーチャーさんから挙がってくるものはどうしてもネタが他とかぶっちゃうんですけど、それがないのがこの企画の強みだと思います。

それと、一流の皆さんが「よく聞いてくれました!」という感じでお話ししてくれるんです。いつもは「これについて話してください」とお願いされることが多いと思うのですが、自分の一番の話が映像化されるというのは、ある種、ドラマ原作の小説家や漫画家のようなところがあるようで、熱を込めて話してくれるので、それも他の番組では絶対にないと思います。

――そうすると、いわゆるネタ切れの心配は、なさそうですか?

今のところはそうですね。ただ、いろんな一流の人の話を聞いていく中で、放送を重ねて視聴者の皆さんの反応を見て、ネタ選びをしていくことになると思います。