――個人の脚本家としては『魔法のリノベ』(22年、カンテレ)で、プライムタイムのドラマも担当されています。
ヨーロッパ企画の作品を劇場とかで見てくださって、そこで共鳴してオファーしてくださる方が、ありがたいことにいらっしゃるんです。僕が脚本家として呼ばれつつ、メンバーもレギュラーキャストに入れていただいたりして、劇団ぐるみで作っているようなカラーに持っていってくださいます。テレビドラマは、制作期間にバッと集まって作るものですけど、やっぱりチーム感を出したい。そういうときに劇団というのは一役買っていると個人的に思ってるんです。もちろん、僕個人で呼ばれて戦わなきゃいけないことが多いんですけど、ヨーロッパ企画というチームを面白がってくださる方々と組んでやっているうちに、そういう場所が増えてきた感じですね。
――ご自身の色を作品に出すのと、テレビ局のプロデューサーからの「こういうほうがテレビではウケるんです」といった意向と戦うような場面はあるのですか?
僕はあんまりないですね。結局、視聴率が著しく低いと全体の士気にも関わるし、最近はお客さんが視聴率の記事とかを気にするような時代にもなってるので、そこはプロデューサーさんをはじめテレビ業界の方の知恵を借りていくという感じです。
『魔法のリノベ』でいうと、誘っていただけたのはうれしいし、気概を持ってやってましたけど、「リノベーションをテーマにしたドラマ」というのは、上田以外でも書ける作品だと思うんです。そこに、いかにして自分の色を入れていくかというふうに考えたくなってしまうけど、必ずしもそれをやる必要はなかったりするから、いつも悩ましいです。表現者としては自分たちが作りたい色を入れたいけど、マスになればなるほど色を消さなければいけなくなってきますから。
――でも、『魔法のリノベ』での、まるふく工務店の社員たちのやり取りのシーンは演劇っぽくて、上田さんの色を入れているように感じました。
あそこはすごく意識しました。それはチームの皆さんがそうさせてくださったんです。以前やった『ドラゴン青年団』(MBS)というドラマでは、東京タワーにドラゴンが現れ、静岡の街では銭湯の壁画が魔物を倒すためのアイテムを探す地図になっているという、現実がファンタジーになるドラマを書いたんです。自分では死ぬほど面白いと思ってたんですけど、ぼんやりテレビをつけた人が出会ったときに、そこでチャンネルを止めるということになったかは微妙で、視聴率をとらなきゃいけないという役割が果たせたのだろうかと悩ましくて、『魔法のリノベ』をやるときは遠慮してたんです。
しかも、これまでやったことのない浅い時間帯だから、まずはそこのしきたりを知らなきゃと思って、この枠ならどういうことが喜ばれるかということに全部従おうと思ってたんですけど、むしろ「どんどん(上田さんの色を)入れてください」って言ってくださって。ファンタジーシーンを入れたら、うっかりキョトンとされることもあったんですけど(笑)
――制作陣の信頼を得て、執筆に臨めたんですね。
長年やっていると、少しずつ“味方”が増えてくるんです。出演者もそうで、波瑠さんとは以前『ノーコン・キッド』(テレビ東京)というゲームドラマでご一緒して、深夜だから尖ったことができてたんですけど、プライム帯で改めてご一緒するときに、当時のことが少しでも残ってるから「あれを書いてた人ね」っていう感じで入ってくださったと思います。だから、時間帯が浅くても「結構これ書いても通じるかも」というのが増えた感じがありました。
――『魔法のリノベ』で、次につながる手応えをつかんだ感じでしょうか。
あの枠で放送されるドラマとして、今できる最善のものを作れた気が自分としてはしています。SNSもすごく盛り上がってくださって、良いものを作れた手応えがあるし、「同じチームでまたやりましょう」と言ってくださるのは、ちゃんと求められていることができたのかなと。演劇においても自分のやりたい面白いことは結構ニッチな感覚があって、それをどうやってより多くの人が楽しんでもらえる形にするかがずっと自分の課題でもあるから、『魔法のリノベ』はうれしかったですね。
■テレビを経験して舞台は「もっとフルスイングしていこうと」
――テレビも最近は「世帯視聴率」一辺倒だったところから、コア層やTVerの再生回数なども評価指標になってきた中で、劇団との親和性が高まってきている感覚はありますか?
最近は視聴率も昔に比べたら高くないという中で、SNSで盛り上がるとか、熱を持って見てくれるとか、そういうことが評価につながってきている部分があると思います。テレビ局の収益構造も変わってきて、例えば映画と結びつけたり、舞台と結びつけたりして、ターゲットを絞って商売を成り立たせるというスタイルになってきているので、僕らとしてもちょっとやりようはでてきたかもしれません。
――これまでテレビのお仕事をされてきて、印象的な制作者はどんな方ですか?
僕は、ドラマやバラエティなどいろんな要素が混ざったものが作れたらうれしいんですけど、そういうことって普通にしてると起こらないんです。だから、ドラマの世界で素晴らしい方はたくさんいて、バラエティでも面白いなあという人たちがいっぱいいるんですけど、そのジャンルを越境しようと頑張っている方々に、ほれぼれしますね。
その点でいうと、直接一緒に番組を作ったことはないんですけど、佐久間(宣行)さんはバラエティから始まって、ドラマや音楽の領域でも力を使って、バラエティの人たちだけじゃできないことをやっている印象があります。オークラさんもそうですよね。越境されている。こういうのって、NHKのEテレとかだと「教育」というジャンルを超えた目的があるから、ドラマとバラエティと人形劇の間みたいなものを作りやすかったりするんですけど、それを色んな局や場所でされているイメージですね。
――Eテレだとヨーロッパ企画さんで、紙人形劇の『タクシードライバー祗園太郎』とか『趣味の園芸 京も一日 陽だまり屋』みたいな番組をやってらっしゃいますね。
そうです、ああした番組は劇団の総合力を使えて面白いです。あと、『しくじり先生』を手がけられたテレビ朝日の北野(貴章)さんは、ドラマとか物語が好きな方で、時々誘っていただくんですけど、それで『澤部パパと心配ちゃん』という情報番組の枠を借りた“舞台劇バラエティドラマ”みたいなことをやらせてもらいました。北野さんのやろうとすることはそういうチャレンジングなことが多い印象です。
――テレビのお仕事をされて、舞台に生きることはどんな点があるでしょうか?
「テレビでここまでできるなら、舞台はもっと変わったことやっていいかも」と思うようになりました。テレビはタダで見られるけど、舞台はわざわざお金を払って見に来てくださるくらいコンテンツへの意識が高く、何か面白いものを見に来るのが好きな人たちだから、そういう熱い客席にはもっとフルスイングしていこうと考えるようになったかもしれないですね。
――テレビによって舞台にお客さんを呼んでくるという効果はありますか?
どれくらい表れているか分からないけど、あるような気はします。ただ、テレビを見る作業と舞台を見に行く作業は全然違う気がして。映画と舞台だったらチケットを買ってみるという行為が近いからそういうのは感じますけどね。それでも、テレビを見た人がSNSや動画を見てくれるんだとか、ちょっとずつ分かってきた感じですね。