注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『PEAK HUNT 東野登山隊』『アドベンチャー魂』といった冒険番組を手がけてきた椎葉宏治ディレクターだ。

かつては『リンカーン』など、ど真ん中のお笑い番組を担当していたが、プライベートの趣味が高じて冒険番組にシフトしていくことに。過酷な環境でのロケも、常人にはない発想を持つ冒険家たちの魅力を感じながら、東野幸治らと旅に繰り出している――。

  • 『PEAK HUNT 東野登山隊』などを手がける椎葉宏治ディレクター

    椎葉宏治
    1973年生まれ、広島県出身。情報処理系専門学校卒業後、銀行員を経て『ねる様の踏み絵』(TBS)のADに。以降、『快傑!コウジ園』(日本テレビ)、『神出鬼没!タケシムケン』(テレビ朝日)、『イカリングの面積』(テレビ愛知)、『¥マネーの虎』(日本テレビ)、『弾丸!ヒーローズ』(ABCテレビ)、『バナナ炎』(TOKYO MXほか)などのバラエティ番組を担当し、『リンカーン』(TBS)では総合演出に。『PEAK HUNT 東野登山隊』(ひかりTVほか)、『アドベンチャー魂』(BS-TBS)という冒険番組を手がけるほか、現在は『ノンストップ!』(フジテレビ)、『千原ジュニアのタクシー乗り継ぎ旅』(テレビ東京)、『カンニング竹山の福島のことなんて、誰もしらねぇじゃねえかよ!』(福島テレビ)といった地上波番組、東野幸治のYouTubeチャンネル『東野デニム』などを担当する。

■欲しい画のために大仁田厚と揉めるディレクター

――当連載に前回登場した放送作家の堀江利幸さんが、椎葉さんについて、「「最初は『ねる様の踏み絵』(TBS)のADの頃に知り合いましたが、そこから一番長く付き合っているディレクターです。最近は東野さんと登山ばっかりして、今や完全に冒険家ディレクターです」とおっしゃっていました。

(笑)。でも確かに、堀江さんは僕も一番長く付き合っている作家さんで、番組を制作する上でめちゃくちゃ助けていただいています。

――テレビ業界には、どのような経緯で入られたのですか?

もともと銀行で働いてたんです。当時はバブルが弾けて「銀行はヤバい」っていう空気がある中、社内でも「どこか他行に吸収されるんじゃないか」と、みんなどんどん意気消沈してて。上司が飲み屋に連れて行ってくれたんですけど、そんな状況なのでやっぱり気をつかうじゃないですか。そしたら向こうのほうから「ボトルで入れちゃえ!」とか豪快な飲み方をしてる声が聞こえてきて、トイレに行くときにチラッと見たら、とんねるずさんと番組のスタッフだったんですよ。それで、「テレビってめちゃくちゃお金あるんだなあ」と思って、テレビで働こうと制作会社に電話したのがきっかけです。

だから、ちっちゃい頃からテレビが好きだったということは特にないんです。それでも当時、ADはぶん殴られたりしてキツいとウワサで聞いてて、どんなもんかなと思ってたんですけど、僕は高校時代、何かあったら先輩にぶん殴られる寮生活を3年送ってたんで、そのへんの免疫が完全にできてて、意外としんどくなかったんですよね。

――最初はどの番組についたのですか?

TBSの『ねる様の踏み絵』という番組で、ディレクターに合田(隆信、現・TBSテレビ取締役)さんがいたんですけど、ペーペーなりにディレクターの人たちを見ると、合田さんが一番カッコよかったんですよ。編集もそうなんですけど、あるとき番組に出たカップルの男性がエラい性欲のある人で、SEX1回あたりのカロリー消費量を割り出して、それを1年間のウォーキング距離に換算したんですけど、「東京からサハリン」って出したんです。「東京から沖縄」だったら普通だと思うんですけど、サハリンに行く感じが、何かカッコよかった(笑)。こういうことを考えるのがディレクターの仕事なんだって気づかせてもらいました。

合田さんは「こういう人になりたい」と最初に憧れた人だったので、「朝5時に起こして」とか、夜中に「今からやる気が出る食いもん買ってきて」とか、無理難題も一生懸命やっていた感じです。

――『ねる様の踏み絵』は、業界に入るきっかけになったとんねるずさんの番組ですね。

本当にたまたまで、ADを局に派遣する会社に入ったら、あれよあれよと、とんねるずさんの番組になったんです。

――『ねる様の踏み絵』は半年で終了しましたが、その後はどんな番組を担当されたのですか?

日テレの『快傑!コウジ園』っていう今田(耕司)さんと東野さんの番組があって、そこで初めて東野さんとお仕事をするんです。ただ、それも半年の在籍で終わって、ヒロミさんがミシシッピ川をジェットスキーで縦断するドキュメンタリー(テレビ朝日『ヒロミのアメリカ縦断6000km!!ミシシッピ川激励の川下り15日間!汗と涙』)をやって夏に3週間ロケしたんですけど、そこから正月のOAまでの5カ月間で、あれよあれよとディレクターをやらせてもらうことになりました。総合演出の李闘士男さんが、当時はディレクターをバンバン怒る厳しい人で、ディレクターもチーフADも編集する人がいなくなったんで、「僕、やらせてもらってもいいですか?」って申し出て。李さんに「お前できんのか?」って言われて直しを受けながら、なんとかOAにたどり着けました。

――今に通じる冒険の番組ですね。

そう言われるとそうですね(笑)。別に頭を使うわけじゃなくて、ただただ体力勝負なロケでした。

そこから『神出鬼没!タケシムケン』(テレビ朝日)という李さんの演出の番組があって、最初にチーフADで入って途中からディレクターをやらせてもらうんですけど、それも1年で終わるんです。ただ、李さんの会社にいて『ウンナンのホントコ!』(TBS)とかをやってた杉本(達)さんに「深夜でバラエティやるんだけどやる?」って言われて、「ぜひお願いします!」ってついていったら『イカリングの面積』(テレビ愛知)という東野さんの番組だったんです。若手のディレクターが僕を入れて3人しかいないので、ここで東野さんに声をかけてもらうようになりました。

で、『イカリングの面積』が終わって堀江さんが企画した『¥マネーの虎』(日本テレビ)をやることになるんですけど、そこで演出をやっていた山谷(和隆)さんという方がまあむちゃくちゃで(笑)。もともと堀江さんと『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)をやっていた昔ながらのバラエティの人で、大仁田厚さんがめちゃくちゃキレてる画が欲しいと言って、大仁田さんとわざと揉めて、襟首つかまれてグリングリンやられるんですよ。欲しい画のために「一発殴られるくらいなら大丈夫だろ」っていう伝説を持つイカれた人で(笑)、でもワンカット欲しい画を撮る姿勢というのは勉強になりました。

――まさに野武士軍団のもとで育ったという印象です(笑)

そうですね(笑)。当時はしんどかったですけど、今考えるとありがたいです。具体的に「こう撮るんだ」とか「こういうふうに画をつなげ」と言われたわけではないんですけど、いろんな先輩ディレクターを見てきた中で、李さん、杉本さん、山谷さんは圧倒的に異色でした。

■一緒にゴルフ行っても収録での緊張感は変わらない浜田雅功

――そうした経験を経て、『リンカーン』(TBS)の総合演出を担当されることになるんですね。

『¥マネーの虎』と同時に、ABCで『弾丸!ヒーローズ』という番組が始まって、そこで初めて浜田(雅功)さんとご一緒させていただきました。その総合演出の林(敏博)さんに呼ばれて『浜ちゃんと!』(読売テレビ)をやらせてもらい、その流れで2005年に『リンカーン』が始まるときに立ち上げで入れてもらいました。最初は4~5人いるチーフディレクターみたいな中の1人だったんですけど、局の人事でそのときの総合演出がプロデューサーにならないといけないということで、「ちょっと椎葉やってくんない?」ってことになりました。

――GP帯の総合演出というのは、そのときが初めてですか?

深夜では何本かやらせてもらってましたが、この時間は初めてでしたね。

――しかもダウンタウンさんの番組というのは、どんな心境でしたか?

当時まだ32~33歳ぐらいだったんですけど、バラエティディレクターの寿命は40ぐらいまでだろうなと勝手に踏んでたんです。だから、こんなでっかい番組はチャンスやなと思ってやらせてもらいました。

――その中で、印象深いことを挙げるとするとなんでしょうか?

こんなこと言うとディレクターとしては気持ち悪いと思われるかもしれませんが、僕の中で一番うれしかったのは、ダウンタウンのおふたりから名前で呼んでもらえたことですね。「椎葉!」って怒鳴られてるのにちょっとうれしい(笑)。特に松本さんから、ディレクター陣で名前を呼ばれるのは数えるほどいなかったですから、良い経験だったなと思います。それに引き換え、やっぱりプレッシャーもあるので大変でしたが(笑)

――ダウンタウンさんとお仕事をされた方に取材すると、浜田さんのほうがスタッフとコミュニケーションを取られるという話を聞きます。

そうですね。浜田さんに「ゴルフやったら?」と言われて始めて、一緒にコースを回ってるときはずっと笑顔ですごく優しいんですよ。でも、その3日後の収録では、一緒にゴルフなんてしてない感じで、全然距離が縮まってない(笑)

――仕事のときは、絶えず緊張感があるということなんですね。

「慣れた」という感覚はなかったですね。

  • ダウンタウン

――バナナマンの設楽(統)さんに取材したとき、慣れない情報番組の『ノンストップ!』(フジテレビ)に、普段からバラエティで一緒にやってる椎葉さんに入ってもらっているという話を聞きました。バナナマンさんとも長いお付き合いですよね。

『リンカーン』にバナナマンさんが出てもらったのがきっかけですね。「この人たち面白いな」と思って、別でも一緒にやりたくなって、企画書を書いて『バナナ炎』(TOKYO MXほか)という番組を立ち上げたんです。これを機に、(放送作家の)オークラさんとも知り合いました。

そこからバナナマンさんのおふたりとはずっと仲良くさせてもらって、お食事もたまに誘われますし、年末にはラジオに呼んでいただいてイジられて(笑)。『ノンストップ!』は、『リンカーン』が終わったらすぐ設楽さんから「ちょっとやってくんねえか?」って連絡を頂いて2013年の秋から入れてもらいました。最初は毎日やってたんですけど、さすがにしんどくて(笑)、2~3年経ってから設楽さんに「ちょっと曜日減らしていいですかね?」ってお願いして、今は金曜だけやらせてもらってます。

  • バナナマン

――ずっとバラエティをやってきたところで、毛色の違う情報番組に戸惑いはなかったのですか?

僕は情報の部分については担当じゃなくて、コーナーを作るときに芸人さんがちゃんと面白くなるような構成やテーマを考えるのが役割です。1時間半を全部見るというより、新たに立ち上げる企画で監修をするという感じですね。