――放送作家としていきなりゴールデンの番組からスタートして、他の番組にはどのように広がっていくのですか?
桜田さんに救っていただいたので、「日本テレビの番組しかやるなよ」って言われてたんです(笑)。でも、桜田さんが「こんなおもろいやついるよ」って紹介してくれて、日テレだけで10本くらいになりました。本当に運と人に恵まれて、自分の型みたいなものを作っていった感じがありますね。
その中で、嵐の最初の冠番組(『真夜中の嵐』)や、AKB48の最初の冠番組(『AKB1じ59ふん!』)をやらせていただいて、「ゴチ」と一緒で国民的スターになっていく人たちのゼロイチみたいなところに立ち会えたのも、経験として大きいです。
――他局にはどう広がったのですか?
僕はスタートラインが吉本だったので、吉本の社員さんに呼ばれて番組に入ることもあって、ロンドンブーツさんの『まぶだち』でTBS、島田紳助さんの『ウォンテッド!』でフジテレビ、藤井隆さんの『Matthew's Best Hit TV』でテレビ朝日といった感じで、各局とのご縁が生まれました。
――ほかにも、『笑っていいとも!』を担当されていましたよね。
これも、自分を育てていただいた番組です。新しい血を入れたいってときに、『ぐるナイ』を一緒にやっていた小野高義さん(放送作家)が僕の名前を出してくださったようで、呼んでいただきました。やはり子役が来てもハリウッドスターが来ても、32年間、どんな相手とでも同じトークの熱、面白さを保った、タモリさんの“トークの品質管理の高さ”を間近で見れたのは非常に勉強になりました。
様々なテレビ史に残る現場に立ち会わせていただき、トム・クルーズが来たときも担当曜日でした。CM中に客席に降りて1人1人と握手してたので、本物のスターだと思いましたね(笑)
――『いいとも』で一緒にやられていたディレクターさんは、今『ぽかぽか』の総合演出をされている鈴木善貴さんですね。
出会った頃、『いいとも』の会議でいきなり「さっき雷が落ちてきて…」と、小さな雷に直撃された話を真顔で語ってきたのがまず衝撃でした(笑)。ディレクターは、編集力、企画力、ロケ力など様々な能力に秀でている方がいらっしゃいますが、タレントさんに企画をプレゼンしたり、“その気”にさせる力も必要です。彼はそのコミュ力がズバ抜けているんです。
明石家さんまさんなど大物にも気に入られていますし、『いいとも』にトム・クルーズが来たときも、まるで友達と話すみたいにケロっとしてた(笑)。会議の雰囲気づくりも上手いし、彼とはまたどこかで仕事したいですね。
――最初に、「近年一番力を入れていた」とおっしゃっていた『今夜くらべてみました』は、どのように立ち上がったのですか?
前身番組が終了することになって、僕と上利竜太さん(総合演出)と桜井慎一さん(放送作家)さんで話していたんですけど、上利さんが「なんか比べる番組をやりたいんですよね」っていうひと言から始まりました。
最初は又吉(直樹)さん、オードリーの若林(正恭)さん、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんという3人を比べて、そこから女性を比べるということに活路を見出しました。「女性くらべ」に手応えを感じたのは、例えば同じ「ディスニーランド好き」でも、Aさんは「アトラクション好き」、Bさんは「ディズニー内のグルメ好き」、Cさんは「ディスニーにある植物が好き」と、同じ“好き”でも女性は十人十色でバリエーションに富んでいたからです。
――会心の回や印象的な回を挙げると、何になりますか?
通常3人のゲストをくらべる番組でしたが、山田孝之さんや、きゃりーぱみゅぱみゅさんの回では、あえて無名のリアル友達を座らせたんです。すると、リアル友達だからこそ知っている、ネットにもSNSにも載っていない暴露ネタや第一情報のオンパレードで、想像を超えたトーク番組に昇華したことですね。
このリアル友達シリーズはいつも新鮮で、桐谷美玲さんの回では学生時代の5人のリアル友達が登場して「美玲はカラオケに行くと、モー娘。を立ち上がって熱唱する」と暴露して、実際にカラオケをかけたら、ご本人がガチで熱唱してくださったんです。あれはネットのザワつきを含め印象的でしたね。
――テーマ設定とともに、あのボード作りが命ですよね。
番組開始からしばらくは、僕がすべてボードを構成する任務を与えていただきました。『今くら』は、ゲストのスマホをモニターにつないで「注文履歴」を公開したり、バーチャル化したゲストをスタジオに登場させたり、当時としては画期的なデジタル演出をやっていたんですが、全部デジタルじゃつまんない。そこで編み出されたのが、あえてアナログな巨大ボードを使う手法でした。
お昼のワイドショーからヒントを得たのですが、ワイドショーでの“めくり”は「重要な情報」部分だけど、バラエティでの“めくり”は「おもしろ」の部分。「次はどんなおもしろいことが隠れているんだろう?」というワクワク感が、視聴者の方にうまく伝播していったんだと思います。
■本田圭佑の「これ、誰がBGM決めてるんですか?」に成功を確信
――最近では、ABEMAの『FIFAワールドカップ』もご担当されていました。
元々『日曜×芸人』をやっていたときのテレ朝のディレクター・片野(正大)さんがABEMAに行かれて、「桝本さん一緒にやりませんか?」と誘ってもらい、『◯◯に勝ったら1000万円』から、『72時間ホンネテレビ』「天心vs武尊(THE MATCH 2022)」「安室奈美恵引退特番」と、大きな番組に携わらせていただいて、ワールドカップでは立ち上げ段階から大きな肝を決める会議に参加させていただきました。
正直言って、ワールドカップの放映権を勝ち取り、本田圭佑さんをキャスティングした藤田晋社長が一番の企画屋だと思います。その企画の中で僕がやらせていただいたことは、ABEMAさんが掲げたキャッチコピーが「ネットを揺らせ」という、ゴールネットとインターネットにかけた打ち出しだったので、「今までのスポーツ中継がやってこなかったことやろう」という想いを念頭に置きながら会議に挑みました。例えば、中継カメラもセンターだけじゃなく、上から俯瞰するもの、日本側のアングル、相手国側のアングルなど、「視聴者が自由に選べるシステムにしませんか?」と言ったり、本田さんの解説は必ず革新的なものになると思ったので、試合終了直後に「解説のまとめ」をすぐにYouTubeで流したり、スペイン戦のハーフタイムに事前告知なしで本田さんとイニエスタとの対談を入れてみたり、ネットユーザーが驚く“サプライズ”をたくさん用意しました。
――地上波だったらハーフタイムは前半の振り返りやCMの時間ですもんね。
ほかにも、サッカーに興味のなかった人たちを取り込むために、「(ABEMA FIFA ワールドカップ)サポーターイレブン」と題して、平成フラミンゴ、にじさんじ、恋愛リアリティーショーに出ていた岡田蓮さんといった方々のご協力を頂き、ワールドカップとの接触機会を増やすとか、そういった“側(ガワ)”をどんどん作っていきました。約半年間、どうやったら今までにない国民行事にできるか? どうやれば波が伝わるか?と、ずっと考えていましたね。
――やはりABEMAの中継は、本田圭佑さんのブレイクが大きかったと思います。
そうですね。“側”をそろえたものの、目玉はやはり本田さんですし、人生初解説になのでどんなテンションで声を届けるのか、全く読めないまま初戦のドイツ戦を迎え、食い入るように第一声を待ちました。すると、選手が入場して、本田さんが「これ、誰がBGM決めてるんですか? もっと気分上がる曲でもいいでしょ?」って、いきなりツッコミを入れたんですよ(笑)。その瞬間に、「やった!」とガッツポーズしましたね。
僕らは事前に、本田さんがサッカー少年たちに向けて解説してる過去動画をチェックしていて、とても深いプレー解説をする方、独自のサッカー哲学を持っている方だとは分かっていましたし、接点のない選手には「鎌田さん」と“さん付け”、知ってる人は「(吉田)麻也」と“呼び捨て”になることも読んでいました。心配なのはテンションだったんですが、BGMへのツッコミに始まり、試合が始まれば「オフサイやろ! オフサイやろ!」「ギュンドアンうざいわ~」って、まるで自分がピッチに立っているかのようなテンションになった。それが、深いプレー解説と最高のマリアージュを醸成して、僕らが想像していた以上の“90分間の本田節”になったんです。
よくテレビマンが、予想しているものを超えたときにヒットすると言いますが、ワールドカップでは本田さんの周りでそれが起こったんです。テレビを作っていて、うれしい瞬間を何度か経験していますが、それがスタジアムのBGMへのツッコミだったんですよね。
――「ゴチ」がガチでやったからみんな本気になって、予想しなかったドラマが起こるというのに通じる話ですね。
そういうのって、あると思うんですよ。この前、『サンジャポ(サンデージャポン)』の後に喫煙所で太田(光)さんとしゃべってて、欽ちゃん(萩本欽一)の何がすごいかって、それまではコント55号で「いかに画面からはみ出すか」ってことばかり考えてた人が、『欽ドン!』では動かない自分のバストアップを撮らせて、カメラの前にお客さんを並べる演芸スタイルの収録を始めたいと言った。スタッフは「なぜだろう?」と疑心暗鬼だったんですが、画面を通して見たら、一同が「これは新しい!」と膝を打ったんですって。
テレビマンたちが出会ってきた想像を超える瞬間っていろいろあるんでしょうけど、その一端を見た気がしましたね。去年は体調を崩して入院もしていたのですが、ABEMAのワールドカップがあったおかげで支えになりました。