注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の桝本壮志氏だ。

『ぐるぐるナインティナイン』をはじめ数々の人気番組を担当しながら、ABEMAで『FIFAワールドカップ』や『Japan’s Got Talent』を手がけるなど、テレビとネットを股にかけて活躍するが、最近は「オワコン」と言われることもあるテレビに「僕は未来しか感じていないです」と語る。そんな同氏が、長年にわたりNSCの講師を務めてきた経験から感じる“若い力”を信じて、「自分に課した」こととは――。

  • 放送作家の桝本壮志氏

    桝本壮志
    1975年生まれ、広島県出身。NSC(吉本総合芸能学院)を経て芸人としてデビューした後、放送作家に転身。『ぐるぐるナインティナイン』を皮切りに、『笑っていいとも!』『天才!志村どうぶつ園』『今夜くらべてみました』などの人気番組や、ABEMAで『亀田興毅に勝ったら1000万円』や「FIFAワールドカップ2022カタール」のプロジェクトも手がける。14年からは『鯉のはなシアター』(広島ホームテレビ)で企画・構成にMCも担当し、自身によって小説化、それを原作に映画化もされた。現在の担当番組は、『ぐるナイ』『鯉のはなシアター』のほか、『ナニコレ珍百景』『世界まる見え!テレビ特捜部』『池上彰のニュースそうだったのか!』『今夜はナゾトレ』『Going! Sports&News』『バズリズム』『Japan’s Got Talent』など。10年からNSC講師、20年に小説『三人』を上梓、『サンデージャポン』にコメンテーターとして出演するなど、マルチに活動する。

■もう一度、ゼロからテレビ界と対峙してみたい

――当連載に前回登場した『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』(中京テレビ)の北山流川ディレクターが、桝本さんについて、「駆け出しの頃からお世話になっていて、2週間に1回くらい新しい企画を考える会をやっています」と言っていたのですが、どのように出会ったのですか?

中京テレビのお偉いさんに「企画が通った若手がいるんで、面倒見てくれないか?」と言われ、『オレの一行』という番組をやることになったのが出会いのきっかけです。すると、流川さんは会議の合間に新企画を何案も見せてきたんです。テレビにすごく夢を持っているキラキラした若手だなと感じましたし、財布がレシートでパンパンで、焼き芋みたいなフォルムになっていて。ダメな人が大好きな僕はすぐに好きになりましたね。

そんな流れから、今でも2週間に一度、お互いの新番組企画を持ち寄る会議をしています。僕はNSC(吉本興業の養成所)の講師をやっていて、EXITの兼近(大樹)くん、ぼる塾、オズワルド、空気階段らと接してきたので若い人の力をめっちゃ信じてるんですよ。若い能力者のしかるべきツボを押してパフォーマンスを向上させていくことが僕の得意分野でもあるので、テレビの制作者でもやってみようと思った中の1人が流川さんですね。

――他にも、若手の制作者と企画を考える会をやってらっしゃるんですか?

そうなんです。去年、力を入れてきた番組の一つ『今夜くらべてみました』(日本テレビ)が終わったので、自分というものを更地にして新たに構築していくということを自分に課して、新番組企画を100本作ったんですよ。しかも、名のある方とじゃなくて各局の若手10人ほどと一緒に会議をさせていただいてます。

――実際に通った企画もあるのですか?

番組化されたのは5本程度ですが、これから花が咲く種があると思っています。

――桝本さんほどの売れっ子作家であれば、番組のオファーはどんどん来ると思うのですが、それでも“自分に課して”若手と企画を作るという考えになったのですね。

いつもNSCの生徒に、「常に自分の身を最前線に置いてトライしてみよう」と言ってるのですが、その割には何もトライしてない自分がダサいなと思ったんです。そんなときに10年間ずっと力を注いできた番組が終わったこともあり、もう一度、ゼロから放送作家としてテレビ界と対峙(たいじ)してみたいと考えました。そんな矢先、ちょっと体調を崩して、半年くらいだましだましやってきたんですけど、それが先日ようやく完治して「よし!」と思ったタイミングで今回のインタビューのお話を頂いたので、この取材はリスタートを切る上ですごくうれしいお仕事です。

――そう言っていただけると、こちらもありがたいです。

■人生が暗転した矢先…「明日から『ぐるナイ』に入れ」

――桝本さんは、放送作家の前は芸人さんとして活動されていたんですよね。

幼少期から物語を創作するのが好きで、中学生のときは漫画を描いて『週刊少年ジャンプ』の賞に送ってたんですが、高校時代に『ダウンタウンの流』という漫才ビデオや、『GAHAHAキング』(テレビ朝日)で爆笑問題さんの漫才を見てお笑いに憧れ、漫才・コント・落語を創作するようになったんです。それで、大阪吉本に入って新喜劇や漫才を書く作家になろうと思って、高校3年の夏に地元の広島からNGK(なんばグランド花月)に行き、裏口の警備員に「吉本興業で作家になりたい」と直談判しました。するとNSCに電話をつながれ、安田さんというNSCの校長から入学願書を渡されたんです(※)。田舎者の僕は、そこで初めてNSCという存在を知りました。

(※)…当時は吉本にYCA(裏方を養成するスクール)はまだ開校していなかった。

――すごい行動力ですね。

軽い気持ちでNSCに入学して、芸人活動をスタートさせました。当初は、同期トーナメントで優勝、「今宮えびす漫才コンクール」で同期の中では最上位になるなど楽しさもあったのですが、ある日、NGKで行われた対決形式のライブで野性爆弾と戦うことになったんです。僕らは3分間しゃべり倒す漫才でややウケ、彼らはくっきー!が振り向いてひと言発するだけのコントで大爆笑。そのとき、「表現者としては三流だな」と痛感し、冷静に周りを見渡せば、次長課長、ブラックマヨネーズ、チュートリアル徳井、超新塾、クワバタオハラ、チャンス大城など、表に出るべき能力者がたくさんいました。

時を同じくして、大阪の西成というところでバイトしてたんですけど、そこで「お金を取った」とあらぬ疑いをかけられ、自宅から連れ去られてボッコボコにされて軟禁されたんです。それでうめだ花月の出番を飛ばして吉本から三行半状態になりまして。そんなことも重なって、自分が最初に吉本に行こうと思った目的の「作家」っていうのがフッと降りてきて、後に俳優になり『アウトレイジ』や『ラーゲリより愛を込めて』とかに出てる三浦誠己っていう同期と一緒に東京に出て、吉本の劇場でほぼ住み込み状態の見習い作家をやり始めたんです。

――波乱万丈のきっかけですね…。

ある日、奥谷達夫さん(現・吉本興業副社長)が、劇場の作家全員から番組企画を募る機会があって3つほど提出したら、数日後、いきなり奥谷さんに寿司屋に呼び出され、「お前は放送作家が向いてる」とおっしゃっていただき、『放送作家になろう!』(同文書院)という本を手渡されました。それで放送作家に興味を持ちながらも、目の前の劇場の雑務に追われる日々だったのですが、その劇場が突然、閉館することになったんです。東京にあった吉本のほかの劇場も閉じるとなって、ようやくスタートさせた劇場作家の職も失うことになってしまったんです。麒麟の田村(裕)さんの『ホームレス中学生』にあった「これからは各々頑張って生きてください」っていう家族の解散宣言と同じような最期でした(笑)

そこでまた人生が暗転しちゃって、「田舎に戻る」という選択肢もよぎったのですが、ふと本棚にあった『放送作家になろう!』が目に留まり、その日のうちに企画書をいくつか書き上げて、麹町にあった日本テレビに行きました。そのときに見てくださったのが、大プロデューサーだった桜田和之さん(現・静岡第一テレビ会長)で、企画書を読み終わると「明日空いてる?」って言われて、「はい!」と答えたら、「明日から『ぐるナイ』に入れ」と言ってくださったんですよ。

――えーー!!

それで僕はいまだに『ぐるナイ』をやらせてもらってるんです。だから桜田さんには本当に感謝しています。入った頃は、僕より早く数人の駆け出し作家がいましたが、毎月1人のペースでクビになっていくんです。「次は僕の番だろう」と思っていたのですが、「ゴチになります!」を考案した作家の堀江利幸さんが、「桝本のネタ面白いじゃん。あいつと一緒にゴチやりたい」と言ってくださって、「ゴチ」の担当になれました。当時23~24歳くらいだと思いますが、何とか首の皮一枚つながって番組内でポジションを得ることができました。

  • ナインティナイン

――「ゴチ」では、どのような部分を担当されているのですか?

「ゴチ」はあくまでガチ勝負なので、担当しているのはリアリティ以外の部分。ゲストが決まって、どういうふうにトークを引き出していくかのストーリーラインや、スペシャル食材を懸けたゲームの考案などですね。

――やはり放送作家としての基礎となった番組ですか?

そうですね。毎週、会議終わりに堀江さんと飲みに行き、作家のいろはを教えていただきました。「ゴチ」で鍛えてもらった「短文で美味しそうに耳に響くナレーション技法」は、その後の作家生活でも大いに役立ちました。

――「ゴチ」を黎明期からご覧になって、メンバーの交代が大きく注目を集めるお化けコンテンツになっていくのは、どのように見てきましたか?

これは当時の総合演出・伊藤慎一さんが語っていたのですが、企画を立ち上げるとき、ナイナイさんに「敗者の自腹はテレビ局が補填しようか?」と相談したら、ナイナイさんが「自腹じゃないと面白くならない」と否定したそうです。自腹を回避したいと祈る姿、敵を探りあうトーク、高級料理を舌先で円換算していく顔、その“リアル”が画面から染み出して視聴者に伝播していくと共に高視聴率になっていきましたね。20年以上たった今でも、千鳥ノブさん、池田エライザさん、渡辺直美さん、中条あやみさん、中島健人さんと、どこ局でも引く手あまたの彼らを、負ければいとも簡単に卒業させてしまう。そのリアルさは健在です。

また、「ゴチ」が人気企画になった一因は、“新しいトーク番組”でもあった点だと思っています。人気者のVIPゲストが出演すれば、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」や『徹子の部屋』のように、ゲストを深掘りするトークにもニーズがあります。ハラハラする自腹ゲームを縦軸にしながら、ゲストの近況や意外な一面を引き出すトークフレームにもなっている。美味しい食事×トークは相性も良い。それも「ゴチ」が20年以上支持を得ている点だと思っています。