最終話「物語の先に」では1020(寛仁4)年から1028(長元元)年の様子が描かれた。

太宰府から無事に帰還しつつましく余生を過ごすまひろと、とうとう死の床についた太閤・藤原道長を中心に、登場人物それぞれのその後が語られた。作中では8年という時間が流れ、前述の道長や藤原行成を含め9人の人物がこの世を去ることとなる。

道長の身内では、兄・藤原道綱(上地雄輔)が1020(寛仁4)年に、少しでいいから大臣をやってみたかったと、道長に職をねだる姿を最後に没した。その死はナレーションですら語られることはなかった。次いで、1025(万寿2)年に後朱雀天皇に入内した6女・藤原嬉子が親仁親王を出産した2日後に赤斑瘡(あかもがさ)で亡くなる様子が描かれ、さらに1027(万寿4)年には次女・藤原妍子、3男・藤原顕信(百瀬朔)とナレ死が続いた。

道長の後の左大臣・藤原顕光(宮川一朗太)は遡ること1021(治安元)年、ひっそりと(ナレーションもなしのパターン)亡くなっている。また、四納言がそろった宴の席では、1人老いを感じさせないふるまいを見せていた源俊賢(本田大輔)も1027(万寿4)年に亡くなっている。こちらもナレーションもなしのパターンだった。

道長と同年に没した人物としては、行成が注目されがちだが、同じ四納言である俊賢も実はこのタイミングで亡くなっていた。そしてもう1人、実はひっそりとこの世を去った人物がいる。それは乙丸(矢部太郎)の想い人・きぬ(蔵下穂波)。乙丸が仏像を彫っていたのはきぬの菩提を弔ってのことだった。乙丸がまひろに「どこまでもお供しとうございます」と訴えたのは、きぬを失ってしまったからだったのだ。

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なじみのない平安時代の認知度を高めた作品

注目度トップ3以外の見どころとしては、倫子に洗いざらい白状するまひろや、まひろが『源氏物語』の作者とは知らず、物語について熱く語る、後に『更級日記』で歴史に名を残す菅原孝標の娘・ちぐさ(吉柳咲良)が挙げられる。他に隠し事はないと聞かれ、娘・藤原賢子(南沙良)の父についても白状してしまうのではないかとヒヤヒヤした視聴者は多かったのではないだろうか。

当の賢子は母に似ず、恋愛マスターとしての才をいかんなく発揮している。その恋愛巧者ぶりは父とされる道長よりも、まひろの夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介)のそれを受け継いでいるように思えるが、本当のことはまひろにしか分からない。

そして、確執を乗り越え、お互いの功績をたたえ笑い合うまひろとききょう(ファーストサマーウイカ)の姿も感慨深いものがあった。また、道長と行成の死を、涙を流しつつひとり『小右記』に書き記す藤原実資(ロバート・秋山竜次)、藤原北家御堂流の権力維持を最優先する太皇太后・藤原彰子(見上愛)も非常に印象的だった。

また、ラストシーンで登場した双寿丸(伊藤健太郎)は、関東で起きた「平忠常の乱」の鎮圧に向かったと思われる。双寿丸を見送ったまひろの「嵐が来るわ」というセリフで光る君へは締めくくられたが、このセリフで終わることは最初から決まっていたそうだから、第1話「約束の月」の開幕シーンでの安倍晴明のセリフ「雨が降るな」と対になっていると考えられる。

最後の最後まで話題に事欠かなかった『光る君へ』だが、現代人にはあまりなじみのなかった平安時代の認知度を高めたという意味で、とても意義のある大河ドラマだったのではないだろうか。来年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』も、これまで取り上げられたことのない江戸時代中期の物語。きっと戦国や幕末にはない魅力に触れられることだろう。