今回は、1018(寛仁2)年から1019(寛仁3)年の様子が描かれ、まひろと道長が新たな人生を歩み始める姿を中心に物語が進んだ。赤染衛門が『栄花物語』を執筆する契機となった背景も描かれ、まさにタイトルである「はばたき」のとおり、多くの人物の転換期が展開された。須磨の砂浜を自由に駆け抜けるまひろの姿は、今回を象徴するシーンだった。
第1話「約束の月」で、まひろが檻から逃げた鳥を追って道長と出会った時、「それでも逃げたのは逃げたかったのだろう」「自在に空を飛んでこそ鳥だ」という道長の言葉がここで回収された。三郎(道長の幼名)もまさかこの目の前の少女を生涯を通して愛することとなり、自分の発したこの言葉を胸にまひろが自分のもとから飛び立ってしまうことになるとは夢にも思わなかっただろう。とても切ない。
トップ3以外の見どころとしては、前回に道長が詠んだ望月の歌についての批評を繰り広げる四納言や、ナレ死に近い敦康親王(片岡千之助)。出仕を決意し、宮の宣旨(小林きな子)から恒例の通称を命名される藤原賢子が挙げられる。
望月の歌についてはいくつかの見解が出たが、当代きっての歌人であり、幼いころから道長を知り尽くした公任の解釈が、もっとも正解に近いのではないだろうか。敦康親王は妻・祇子女王(稲川美紅)との間にもと(女偏に原)子も生まれ、ようやく穏やかな日々を手に入れた矢先の薨去だった。「越後弁」と名付けられた賢子は彰子のもとで働くことになったが、働きたいと希望するや、太皇太后兼国母の彰子や、太閤として国内での最高の権力を持つ道長に即座に対面がかなう母・まひろの人脈はすさまじいの一言に尽きる。かつては娘よりも宮中での仕事を優先していた母に反発していた賢子だが、母の偉大さを目の当たりにし、改めて見直したのではないだろうか。何気に敦康親王と賢子は同い年だ。
また、まひろに未練たらたらの道長の姿も印象的だった。倫子の前では気前よく船を手配し「気を付けていってまいれ」とまで言っていたのに、2人になると「いかないでくれ」と泣き出す始末。挙げ句の果てには賢子が実の娘だと知らされ、さぞ太閤の脳内はぐちゃぐちゃになってしまったことだろう。そしてラストシーンで突如として復活を果たした周明(松下洸平)の登場シーンは、トップ3にこそ入らなかったものの大きな話題となった。『最愛』part3の開幕に心が躍る視聴者も多いのではないだろうか。周明といい猫といい、ちょうど忘れたころに突っ込んでくる塩梅がなんとも心憎い。
きょう1日に放送される第46話「刀伊の入寇」では、とうとう一大イベントである刀伊の入寇が描かれる。襲来する異人たちを、大宰大弐・藤原隆家(竜星涼)や双寿丸(伊藤健太郎)たちが迎え撃つが、再会を果たしたまひろと周明は無事に難を逃れることができるのだろうか。次回では果たしてどのシーンが最も注目されるのか。