3番目に注目されたシーンは20時17分で、注目度74.5%。左大臣・藤原道長と三条天皇のせめぎ合いの中、中宮・藤原妍子(倉沢杏菜)が酒に溺れるシーンだ。
「すけ(女偏に成)子様立后を成し遂げられましたあとも、藤壺にお渡りなきはなぜにございますか」道長は単刀直入に三条天皇に尋ねた。「渡ってはおるぞ。されど、いつ行っても宴を催しており、若い男に囲まれて、朕のような年寄りが、入り込む隙はないのだ」「うーん…中宮様が、宴ばかりなさるのは、お上のお渡りがなく寂しいゆえにございます」「そのようには見えぬが、これからはそのように思ってみよう」「は…お上のご寵愛がございますれば、中宮様は変わられます」道長はさらに詰め寄るが、三条天皇はのらりくらりとやり過ごすつもりらしい。
「そういえば、比叡山では僧どもに、石を投げられたそうだな」三条天皇は唐突に話題を変えた。「ああ…は。息子の受戒に参列しようとしたら、馬に乗ったまま山に入ったことに、腹を立てられまして」道長としてはあまり触れられたくない件である。「石が飛んできただけでも、たたりがあるらしい。しっかりとはらってもらうがよい」三条天皇は心配しているそぶりを見せているが、その内心は分かったものではない。「はっ」道長は頭を下げた。道長と三条天皇の関係が日に日に悪化していく中で、渦中の妍子は昼夜を問わず宴を開き放蕩三昧である。敦明親王(阿佐辰美)をはじめ若い公卿たちをはべらせ上機嫌な妍子は、「ふふふふふ」と頬を赤らめて酒をあおり続けた。
「妍子、ホストクラブにはまっているギャルみたい」
ここは、平安時代のパーティーピープル・妍子の飲みっぷりに注目が集まったと考えられる。
父である道長の政治の道具として18歳も年上の三条天皇に嫁ぎ、しかもその三条天皇からの寵愛も得られない妍子が、ストレスの塊であったことは想像に難くない。
美人と評判で派手好きな性格、実家には莫大な財産があるとなれば、妍子がこのような大人になってしまったのはむしろ自然ななりゆきかもしれない(偏見かも)。もちろん道長に対する当てつけもあったのだろう。
SNSでは、「18歳だから宴三昧も仕方ないかな」「あれだけ大酒していたら確かにお渡りどころじゃないね」「妍子は彰子とは違う意味で手がかかる娘だなあ」「妍子、ホストクラブにはまっているギャルみたい」といった投稿が集まった。
妍子は内裏で開かれた宴でも酒を飲んでいた。伯父にあたる藤原道隆(井浦新)の死因は酒の飲み過ぎによる糖尿病だった。この年齢から酒を飲み続ける妍子の健康状態が懸念される。妍子が頻繁に宴を開いていることは姉である皇太后・藤原彰子の耳にも入っていた。
この頃、彰子は枇杷殿で一種物(いっすもの)という宴会を開く予定だった。しかし、妍子が毎日のように開く宴によって、公卿たちは疲弊していたので、その負担を軽減すべく彰子は一種物を中止したそうだ。この彰子の決断に藤原実資はいたく感動し、「賢后と申すべきである」と自身の日記『小右記』に記している。彰子と妍子は姉妹でありながら非常に対照的な性格をしているのも興味深いところだ。