――実際の爆発や炎を扱う撮影だからこそ、演者の安全確認が徹底されていないといけないわけですね。当時の映像が迫力満点だったがゆえに、よく「昭和のヒーロー作品は俳優を乱暴に扱っている」などと誤解されがちですが、画面の裏には緻密なテクニックが隠されていたことがわかります。
そのとおり。だから『V3』をやっているときは、火薬を爆発させるスイッチャーの方とは常に交流をしていて、ここから走るとここでドカン、そしてまた走るとここでドカン、など、綿密な打ち合わせをした上で撮影に臨むのです。危険であればあるほど、安全の確認は必須条件になります。
――それはそうと、『V3』での爆発の規模の大きさはすごすぎますね。特に劇場版『仮面ライダーV3対デストロン怪人』での、怪人タイホウバッファローによる砲撃の一連は、観ていて言葉を失うほどの迫力でした。
小さな爆発だと、僕が「こんなもんじゃないだろう、火薬少ねえぞ!」と製作に文句を言いましたからね(笑)。画面が見えなくなるくらい、もっと火薬を出せ、出せって言っていました。生田スタジオの内田有作所長に「火薬は1号、2号のときの3倍は出してほしい。だって俺、V3だもん」なんて言ってたなあ(笑)。すると所長は「宮内、お前の言いたいことはわかった。迫力出るもんな。だけど予算のことも考えてくれよ」って諭しにかかるもんですから、じゃあってんで、風見志郎は川や池の中にドボーン!と落っこちるんです。そうすると水柱が上がって、爆発に頼らないでいいでしょうってね(笑)。
――オートバイに乗ったまま、立ち上がって変身ポーズを取るなど、宮内さんの超絶バイクテクニックも子どもたちを熱狂させる要因のひとつでした。バイクアクションで特に印象に残っていることがあれば教えてください。
いろいろやりましたからねえ。僕がすごく好きなアクションは、第26話で風見志郎がオートバイでデストロンの車と並走し、そのまま車に飛び乗って振り回されるのをワンカット長回しで撮る、というやつです。
ずっと前からこういうことをやりたい、と構想していて、千葉の九十九里浜でロケをしてください!とお願いしました。砂浜だとバイクで走ることができますし、乗り捨てたバイクも壊れることがありません。そして、車の屋根の上にスキー用のキャリアを付けてもらい、飛び移ったときにそこを掴めるようにしているんです。これで、いくら車で振り回されても落ちないという。その上、走っている道の周辺では爆弾でドカンドカンやっていてね。あれは自分でも上手くいったシーンだと思います。
僕の中では、バイクは馬、自動車は幌馬車の代わり。西部劇のアクションを再現しようと考えていました。バイクの手放し運転もだんだん慣れてきて、走ったまま変身ポーズも出来るようになったから、次は何をしようかと考えまして、第34話ではバイクに乗ったまま立ち上がり、無線機のアンテナを延ばして剣のように持ち、同じくバイクに乗った女怪人スミロドーン(正体は原始タイガー)と戦う、といった立ち回りを考えました。なんというか、いつもと違う変わったことをやるのが好きなんです。
――少年仮面ライダー隊の会長を務め、風見志郎から「おやじさん」と呼ばれ親しまれていた立花藤兵衛役・小林昭二さんも、デストロンとの戦いでずいぶん危険なことをされているように見えます。小林さんから宮内さんに「危ないことをやりすぎだ」みたいな意見はなかったのですか?
ぜんぜんなかったです。おやじさんは「お前の好きにやればいい」っておっしゃっていました(笑)。おやじさんとの思い出はたくさんありますよ。『仮面ライダー』を2年やっていたおやじさんとスタッフはすでに気心の知れた関係でした。そこに宮内洋が新人として入ってきた。そのとき、すごく違和感があったそうなんですね。
普通の新人は「よろしくお願いします」と丁寧に来るのに対して、僕は「おやじさん、よろしく!」みたいな感じだった(笑)。しばらく後になってから一緒に酒を飲んだとき、おやじさんは「あのときは小生意気な野郎かと思ったけど、そのふてぶてしいところがお前のいいところだ」って言ってくれました。
そして「子ども向け番組だと思っていい加減にやるなよ、れっきとしたひとつのドラマだと思って真剣にかかれよ、っていつもは俺がみんなに言っているのに、お前には、俺のほうが教わってるな……」とも話してくださって、それを聞いたとき、僕は感激して涙を流しました。おやじさんの真摯な姿勢をも含めて、僕は改めて「ヒーロー番組は教育番組である」と宣言したいですね。何もお説教をするとかじゃないんです。ヒーローの持つ強い影響力には、奇跡を起こせる何かがあるんじゃないか、そういう考えのもと、僕はヒーローを演じ続けてきました。