――プロのキャリアを振り返れば、桐蔭横浜大からベルマーレに加入した2016シーズンは、怪我もあって公式戦に1試合出場しただけで終えています。

怪我は関係ないですね。本当に実力不足でした。

――当時は契約年数をまっとうしたら、このまま終わってしまうと考えていたと。

J1からの降格するチームで、大卒の選手が一度もリーグ戦に出られない。自分の立ち位置がどのようなものかがわかっていたし、ならばJ2の別のクラブに移籍すれば試合に出られるとも思っていなかった。プロとはそれほど甘い世界ではないので、もうそうなって(引退)いくのかなという思いは正直、ありました。

――そして2年目の開幕前のキャンプでディフェンダーへコンバートされました。

チョウさんから「やってみるか」と言われた時に「えっ!」と驚くことはなかったですね。本当に藁にもすがる思いだったというか、やらせてくださいじゃないですけど、試合に出られる可能性があるのならば新しいチャレンジがしたいと思っていたので。

――チョウ監督からはどのような説明があったのでしょうか。

スペインのキャンプ行く前ぐらいに、コンバートの件はちょっと言われていました。確か「今年はお前を一番後ろで使うかもかもしれない」と。1年目は試合にこそ出られなかったんですけど、湘南ではウイングバックでプレーしていたので、最終ラインに戻る場面も多かったですし、サイドでの攻防というものがちょっとできるようにはなっていたので。そこはすごく3バックの右でプレーする時に生きました。自分のマークを見失わないために「首を振り続けろ」ともずっと言われていたので。最初の頃はそれだけを必死にやっていた感じです。

――それが、Jリーグを代表する右サイドバックになった今にも生きている。

正直、何をしていいのかがわからない状態だったので、最初はチョウさんから教えられたことだけをやって、自分でアップデートしていく作業を続けていきました。

――ゴールに関しては、劇的なものばかりでした。例えばJ1初ゴールは、鹿島アントラーズ戦の後半アディショナルタイムに決めた決勝ゴールでした。

どうですかね。そういうゲームは、言ってしまえばモチベーションが勝手に上がるというか。あの時の僕はアントラーズと初めて対戦したので。自分がどれだけできるのか、というところがあったし、何よりもJ1という舞台を純粋に楽しんでいたので。ゴールはおまけかなとは思っています。

――2019年の浦和レッズ戦でも後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決めました。あの試合は誤審騒動がありましたが、後半に3点を奪って逆転しました。

あの試合は後半が始まる段階で、みんなのモチベーションが上がり切るどころじゃないぐらいのテンションになっていたので。たまたま僕が最後にゴールを決めましたけど、後半45分間に全員が見せたあの気持ちは、なかなか出せるものじゃないですよね。