今シーズンのJ1のベストイレブンから、ともに川崎フロンターレに所属する谷口彰悟と山根視来の両DFが、カタールワールドカップに臨む日本代表に名を連ねている。特に山根は年代別の日本代表に無縁で、森保ジャパンでのデビューも昨年3月と遅かった。湘南ベルマーレ時代には「引退」も覚悟しながらJリーグを代表する右サイドバックへと飛躍を遂げ、28歳にしてワールドカップ代表入りを果たした山根が紡いだ言葉の数々は、プロサッカー選手を夢見る子供たちへの至高のメッセージとなる。
――カタールワールドカップに臨む日本代表メンバー選出、おめでとうございます。自分の名前が読み上げられた時の心境を教えていただけますでしょうか。
自分の車の中で「よっしゃー!」と大きな声を出しました。フロンターレの練習場の近くを何分間か走らせて、時間になったらそのへんに止めて、YouTubeでライブ配信されていた代表メンバー発表会見をスマホで見ていました。
――運転席でパーカーのフードをかぶって、マスク姿でYouTubeを視聴していたとうかがいました。なぜ一人になりたかったのでしょうか。
それは(フロンターレのチームメイト)みんなの前で見る自信がなかったからですよ。自分が入る自信がそこまでなかったので。
――自らメンバーを読み上げた森保監督がゴールキーパーを終えると、フィールドプレーヤーを一緒くたにして年齢の高い順で呼び始めました。長友選手、吉田選手、酒井選手、フロンターレのチームメイトの谷口選手と続いていきました。
最初に読み上げられた選手ではディフェンダーが多かったので、そこから急にミッドフィルダーの選手が続いた時には頭の中が一瞬、真っ白になりました。
――直後の会見では「一生で一番緊張したんじゃないかな」と心境を明かしていました。山根選手にとっては、ワールドカップとはどのような存在だったのでしょうか。
他の選手も一緒だと思いますけど、サッカーを始めた頃からみんなが目指している場所であり、大会だと思っています。僕自身、常に変わらない思いを抱きながら、ワールドカップはずっとテレビ越しに見てきました。
――もっとも思い出に残っている大会をあげれば。
やはり2002年の日韓共催大会ですね。僕にとって最初のワールドカップですし、当時は小学校3年生で、日本で開催される意味はまったくわからなかったけど、それでも日本が点を取った時や勝った時の喜びは今でもはっきりと覚えています。
――スタジアムで観戦していたのでしょうか。
いやいや、テレビで見ていました。いろいろなスタイルの国が来て、お祭りみたいにすごく盛り上がったのは記憶に残っています。あらためて考えると、日本で開催できたのは本当にすごいことだったと今は思っています。
――メンバーに選出された瞬間に、3人の顔が思い浮かんだと会見で語っていました。湘南ベルマーレ時代のチョウ貴裁監督(現京都サンガF.C.監督)とフロンターレの鬼木達監督、そしてフロンターレのチームメイトの家長昭博選手の3人でした。
すべてが自分にとって大きな出会いだったので。チョウさんにはプロサッカー選手とは何かというのをまず叩き込まれましたし、それが今の僕を作ってくれました。
――フロンターレの鬼木監督は。
フロンターレへ移籍して新しいチャレンジを始めた僕を、ずっと使ってい続けてくれたこと。そして適切なタイミングで声をかけてくれたことですね。どうしても壁にぶち当たるんですけど、オニさんは「それは最初に言ってもわからないけど、今のお前なら多分わかる」とも言ってくれました。そういうところでの声かけが自信になったこともありますし、自分自身で乗り越えていかなければいけない壁だという点や、自分のレベルに合った課題をオニさんは与え続けてくれたので。
――そしてアキさんこと家長選手。右サイドで縦のコンビを組んでいます。
同じチームでプレーをしていて影響を受けたと言うとまた違うのですが、自分の強みといったものをこれだけ出せるのか、と驚かされた選手に出会ったのは初めてでした。試合中でも普段の練習でも特別に何か会話を重ねるということはないんです。それでも自分がいいタイミングで走った時には必ず見てくれているので、アキさんがボール持った時は問答無用で走っていこうと。ボールが出てこなくても、それは僕を使うべきタイミングじゃなかっただけだと思うようにしましたし、僕自身もアキさんをフリーにさせるために走っている、という狙いがあるので。言葉はほとんど交わさないけど、プレーの意図などは年を重ねるごとに、どんどんわかり合えてきています。
――3人からはワールドカップへ向けてメッセージは届いたのでしょうか。
チョウさんからは「頑張れ」とメッセージをもらいましたし、オニさんからも「楽しんで来い」と言われました。アキさんからは、代表メンバー発表会見を視聴し終えて僕がクラブハウスに戻った時に、最初に「おめでとう」と言ってもらえました。