初めてのデザインコンペが「THE HIGH-LOWS」のロゴ制作

――そこから実際にフリーデザイナーとしてどうやって仕事を得て行ったんですか。

菅谷:『child food』のCDを持って、パルコの「QUATTRO LABEL」とか、色んなレコード会社とかを営業して回りました。当時、『child food』が話題になっていて、CDを持っていくと「あ、このジャケットやった人なんだ? 」って言われて、そこから仕事をいただいたりしましたね。そのときに屋号を付けたんですけど、フリー・デザインというバンドが好きだったので、「epok free design」という屋号で名刺を作ってしばらく配ってたんですよ。でも、「フリーデザインって、“タダでデザインやりますよ”みたいにとられるよ」ってある人から言われて。

  • 菅谷晋一さん

――フリー素材を提供してくれる人、みたいな(笑)。

菅谷:そうそう(笑)それだとまずいなと思って。「自由なデザイン」と受け取ってもらえればいいんだけど、そういう風にも取れるなと思って、「epok」だけにしたんです。

――自分の名前でやるんじゃなくて、屋号をちゃんと付けようと思ったのはどうしてなんですか?

菅谷:自分のロゴを作ってみたかったからです。デザインとしては、『child food』があるから2番目になるんですけど、屋号のロゴも1つの作品になるので。

――フリーランスで始めた頃って、まだあんまり相場がわからない中で、「いくらでやってもらえますか? 」って、依頼元がギャラを訊いてくることがあると思うんですよ。それはどう交渉してたんですか。

菅谷:ああ、ありましたね。それは、一番最初にやった仕事を元に考えてました。本当にお恥ずかしい話なんですけど、請求書の書き方もわからなかったんですよ。だから、最初にお世話になったbonjour recordsの方に請求書の書き方を教わって。今でもすごいなと思うのが、面接を受けに行ってもらった仕事だから、僕の履歴書も知ってるわけじゃないですか? それを見るとデザイン事務所にも入ってない。なのに仕事をくれたっていう。そういう人間にも、ちゃんとそのときのCDジャケットの相場のギャランティをくれたんです。それがわかってたので、他で仕事をもらうときも、その値段でもしよかったらやらせてくださいという話をしていました。

  • アトリエでの仕事風景。映画『エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット』より

――デザインの仕事というと、コンペで決まるときもあると思うんですが、菅谷さんはそういう経験もされてきましたか。

菅谷:僕はコンペ仕事というのは、1回ぐらいかな? 今のザ・クロマニヨンズ(当時はTHE HIGH-LOWS)の事務所「HAPPY SONG RECORDS」のロゴのコンペを出したぐらいで、依頼の仕事が多いですね。THE HIGH-LOWSとの仕事はそのロゴが最初だったんですけど、その後レコード会社をユニバーサルからBMGに移籍して、新しく出すアルバムがあったんです。そのデザインはBMGの社内デザイナーで進んでいたはずなんですよ。でも何か違うと。それで、「そうだ、あのロゴをやってくれた菅谷君がいた。彼に頼めば面白い写真を撮ってくるんじゃない? 」っていう話から僕のところに依頼が来たんだと思います。それで初めて手掛けたジャケットが『Do!! The★MUSTANG』という馬のジャケットです。

――このジャケットを見て、甲本ヒロトさんも真島昌利さんも、さらに「面白いな!」って思われたんでしょうね(笑)。

菅谷:ははははは(笑)。たぶん、僕の面白いと思っていたものと合っていたのかもしれないですね。