――頭脳派のアマギ隊員は、ウルトラ警備隊の隊員たちの中でもあまり前に出ることのない大人しいキャラクターでしたが、脚本家の上原正三先生はそんなアマギの個性を活かし、第28話「700キロを突っ走れ!」第31話「悪魔の棲む花」という2本の"アマギ主役回"を書かれました。『ウルトラセブン』の中盤からは隊員ひとりひとりにスポットを当てた主役編がいくつか作られましたが、アマギ隊員にもまたキャラクターを深く掘り下げるドラマが与えられ、魅力が高まりましたね。
以前、上原さんとお話をしたとき「どうしてアマギの主役編を書かれたんですか」とお尋ねしたことがありました。上原さんは「ビンちゃんは『ウルトラマン』でずっとスーツの中に入り、大変な仕事を懸命にこなした。その地道さを気に入っていたんだけど、アマギは他の隊員の中に埋もれて、ビンちゃんの持ち味が出せていないように感じた。だからアマギをメインにした話を書いたんです」と言われて、とてもうれしかったなあ。上原さんには本当に感謝しています。「700キロを突っ走れ!」は、爆弾にまつわるトラウマをアマギが克服する話。そして「悪魔の棲む花」は松坂慶子さんをゲストに迎えて、僕が以前から出演してみたかったメロドラマ風の物語でした。どちらも僕の代表作と呼べる名作エピソードです。
――アマギ隊員を演じられていたころの思い出を聞かせてください。
『ウルトラマン』のときは辛く苦しい思い出が多かったんだけど(苦笑)、『ウルトラセブン』時代は楽しい出来事がたくさんあって、思い出深いですね。第14、15話「ウルトラ警備隊西へ(前編・後編)」で神戸ロケに行ったとき、キリヤマ隊長役の中山昭二さんと監督の満田かずほさんの計らいで、ホテルの一室にキャスト、スタッフが集まってお酒を飲んだときは楽しかったなあ。また、ウルトラ警備隊のメンバーとウルトラセブン役の上西弘次さんがそろってサイン会を開催すると、とてもたくさんの子どもたちが来てくれて、どこの会場でも大盛況だったことも強く印象に残っています。
アマギ隊員を演じていた当時、僕はどこに出かけるときでも必ずサインペンを持っていました。それは、いつどこでも子どもたちにサインを書いてあげられるからです。僕が子どものころ、友だち同士で後楽園球場に遊びに行って、巨人軍の選手たちが練習しているところを見学するのが楽しみでした。練習が終わって選手のみなさんが引き上げるとき、子どもたちからサインをねだられて、川上哲治選手や与那嶺要選手がファンサービスで書いてあげているんです。でもサインペンを持っていなかった僕は、サインがもらえなくて……。とても悲しかった記憶が残っています。アマギ隊員が大好きな子どもには、そんな辛い思いをさせたくない。そんな思いでいつもペンを持つようにしていました。サインをしてあげると、もらった子どもの目がキラキラ輝いているのがわかるんです。これが円谷英二監督のおっしゃっていた"子どもに夢を"ってことなんだなあ、ってそのとき改めて実感しました。
――円谷プロが創立50周年を迎えた2013年、「第26回東京国際映画祭」のオープニングイベントで新規製作されたウルトラマンのスーツを古谷さんが着て登場し、ハヤタ隊員役の黒部進さん、フジ隊員役の桜井浩子さんとの3ショットが実現したときは、多くのウルトラマンファンが驚き、歓喜しました。当時のスーツと、新規スーツでは着た感じがどんな風に違っていたでしょうか。
そりゃあ今のほうが材質も良くなっていて、技術の進歩を体感しましたね。7年前に改めて身体のサイズを測り、今の自分にぴったりフィットしたスーツを作っていただきました。体型は変わっていないので、まだ着られるはずですよ。来年(2021年)はウルトラマンが誕生してから55年という記念の年だから、またウルトラマンのスーツを着てファンのみんなの前に現れたいと思っています。それが僕にとっての来年の目標ですね。
――今の古谷さんも放送当時と変わらず、とてもスマートな印象です。最後にぜひお伺いしたいのですが、若さと健康を維持するためにどんなことをされているのでしょうか。
特別に何かをやっているわけではなくて"常にみなさんからの視線を意識している"ことが大きいんだと思います。何年経っても、僕のことをウルトラマン、あるいはアマギ隊員として観てくださっているファンの方たちがいる限り、できるだけ変わらないでいたいんです。昔の子どもたちが大人になっても、ずっとウルトラマンに"夢"を抱いてもらえるよう、僕もまだまだこれから頑張っていきたいと思っています。
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