――放送終了後の1967年7月22日には、東宝映画『キングコングの逆襲』(監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)の併映作品として、テレビシリーズの再編集による『長篇怪獣映画 ウルトラマン』が公開されました。このころはまだ一般家庭でカラーテレビが普及しておらず、映画館で初めて「色付きの(動く)ウルトラマン」を見た、という子どもたちも多かったようで、予告編でも「ウルトラマンをカラーで見よう!!」と大いに煽っていました。また、予告編ではハヤタ隊員役の黒部進さん、ムラマツキャップ役の小林昭二さんたち科学特捜隊のみなさんと同じように「ウルトラマン 古谷敏」とアップで紹介されているのが印象的ですね。
ありがたいですよね。ちゃんとウルトラマンを演じているのが古谷敏なんだ、とわかるように予告編を作ってくださったんです。みんなが僕のことをウルトラマンだとしっかり認めてくれたようで、本当にうれしかった。宝物ですよ。
――ウルトラマンと戦った怪獣・宇宙人の中で、特に印象に残っている相手はどれでしょうか?
たくさんの怪獣と戦ってきましたけれど、思い出深いのは東宝の先輩俳優でもある中島春雄さん(東宝映画『ゴジラ』(1954年)『空の大怪獣ラドン』(1956年)『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年/バラゴン役)『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ』(1966年/ガイラ役)などで知られる怪獣演技の名人)が演じた「ネロンガ(第3話)」や「ジラース(第10話)」ですね。中島さんの怪獣とウルトラマンが戦うときは、経験豊富な中島さんが迫力満点の立ち回りのアイデアを出してくださったんです。中島さんは2017年に惜しくも亡くなられましたが、一緒によくアメリカのファンイベントに出演して、楽しいトークを聞かせていただきました。
――中島春雄さんはアメリカでは「ミスターゴジラ」と呼ばれて多くの特撮ファンからものすごい人気を誇っているそうですね。ウルトラマンを演じられた古谷さんもまた、アメリカをはじめ海外での人気が高いと聞いています。
文化の違いがあるのかもしれないけど、アメリカの特撮ファンの熱気は特にすごいんですよ。スーツに入っている役者を"裏方"と思わずに、映画の"主役"を務めるスターとしてリスペクトしてくれるんです。中島さんは亡くなる直前まで、またアメリカのファンイベントに行きたいとおっしゃっていました。僕にも「古谷、アメリカのイベントに呼ばれたら必ず行ってやれよ。あんなにも俺たちを大事に思って、愛してくれている人たちがいるってのは、役者冥利に尽きるよな」と言ってくれたんです。
――『ウルトラマン』終了後、東映の『キャプテンウルトラ』(1967年4月~9月)を挟んで1967年10月より放送を開始した『ウルトラセブン』で古谷さんはアマギ隊員役に選ばれ、レギュラー出演されました。頭脳明晰で名プランナー、一方で格闘や銃の扱いといった実戦が苦手というアマギ隊員の役柄については、どう思われましたか。
勇ましいというよりクールで理知的な役で、これなら僕が演じるにはピッタリだと思いました。『ウルトラマン』が終わったあと、ファンの子どもたちやお母さんたちがTBSに電話とかハガキをたくさん送って、僕を応援してくれたんです。円谷プロでもウルトラマン役で全39話を頑張ってきたから、そのご褒美として隊員役に選んでくださったんですね。
成田さんは僕をウルトラセブン役で続投させるつもりで「君のスタイルに合わせてデザインしたよ」と、全身が青いウルトラセブンの初期デザインを見せていただいたことがありました。でも「次はスーツには入りません」と言ったら、成田さんがずいぶん残念そうな顔をしていたのを覚えています。その後、「アマギ隊員役が決まりました!」と成田さんに報告しに行ったんですが、そうしたら「ウルトラ警備隊の隊員服は、ビンさんに合わせてデザインしたんだよ」とおっしゃって、僕に対しての優しい心遣いに感動しました。出来上がった隊員服を着てみると、上半身にウルトラマンの模様を思わせるラインがつけてあって、とてもカッコいいなって思いましたね。