冬山より厳しい竹内氏の監修
そして、竹内氏とともに歩んだPRO TREK MANASLUの歴史へと話は進む。まずは2005年、竹内氏が初めて登山で使用したPRO TREKが「PRW-1000」だ。電波ソーラーを搭載した初めてのトリプルセンサーデジタルで、開発陣としてはすごく力の入ったモデルだった。ギリギリで仕上げたプロトタイプを開発者がネパール・カトマンズのトリブバン国際空港まで持って行って、竹内氏に手渡したという逸話があるほどだ。が……。
竹内氏:これを持ってきていただいたその時点で、これはダメだと感じました。何しろぶ厚い! ロープが引っかかる、カラビナが引っかかる。何もかもが引っかかった。結局、首からヒモでぶらさげて、時計と高度計を使っていました。
帰国した竹内氏から話を聞いた開発陣は、大変なショックを受けたという。
竹内氏:登山用の厚い手袋をしているから、ボタンも押せなくて。仕方なくピッケルで押していた。ボタンの横の傷は、そうしてできた傷なんです。
このボタンは押せる、と多くの人が言う。が、それはテーブルの上で素手で押すからだ。竹内氏のように厚い手袋をしていては押せない。普通の環境では十分な機能であっても、極限のフィールドでは使えないことが明らかになった。
そして2007年、ぶ厚いケースという屈辱をそそぐべく、薄型の「PRW-1300」が誕生。このモデルは当時のPRO TREKでスタンダードだった二層液晶を捨て、しかし従来の機能を損なうことなく、わずか11.6mmの薄さを実現した。
竹内氏:この時計は私も非常に気に入っていて、今でも時々使うほど。PRW-1300はPRO TREKの進化を語るうえで、ひとつの大きなターニングポイントでしたね。
続いて2009年に登場したのが「PRX-2000T」。中身のパッケージを極限まで詰め、二層液晶を再び採用しながら薄型を実現した。ちなみに、これが「MANASLU」の名を冠した初のモデルである。このモデルを見て、竹内氏は大きな衝撃を受けたという。
竹内氏:手放したとばかり思っていた二層液晶を再び搭載したうえ、ケース厚は11.3mmとより薄くしてきたんです。これには開発の方々の意地というか、私への復讐めいたものを感じました(笑)。「これでどうだ!」と。それ以降「今までは私が一方的にあれこれ要望を言ってきたけれど、私自身もPRO TREKと一緒に進化していかなければ」と考えるようになりましたね。そういった面でも印象深いモデルです。
翌2010年、アナログ針を初搭載した「PRW-5000」が登場する。秒針で方位を指し示すなど、トリプルセンサーをアナデジで表現するという初めてのアプローチを採用。開発者はかなり力を入れており、自信をもって竹内氏に渡した……のだが。
竹内氏:その場で「今回私はこれを使いません」とお返ししました。ケースの厚みが戻ってしまったのと、針のデザインに時間を伝える表現力がなかった。これではあの8,000m峰に入っていけないと判断しました。すると、これがきっかけで、開発の人たちがさらに私にリベンジ(笑)してくるんですね。
そのリベンジとは、2012年に登場した「PRX-7000T」。デジタル窓を搭載しない、フルアナログモデルだ。これはトリプルセンサーの計測データをすべて針で指し示すという、技術と表現力への挑戦的な役割を担ったモデルだった。
竹内氏:これは私の14座登頂のときダウラギリで使いました。前回のPRW-5000は針が3本でしたが、PRX-7000Tは針を4本にしながら、ケースをより薄くしてきたんですよ、復讐で。と冗談はさておき(笑)、本来、時間や標高はデジタルで表記したほうが分かりやすいんです。つまり、現在地の高度や気圧、温度などの細やかな表現はデジタルが得意。
竹内氏:ところが、高度や気圧が、さっきより上がったとか下がったとか、どの方向に移動したかなど、もっと大雑把な情報はアナログのほうが分かりやすいんですね。ですから今後、PRO TREKがデジタルとアナログのいいところをそれぞれ生かして、よりベターな組み合わせを探していくための重要な通過点になったと思います。
なお、これらPRO TREKの歴史は、かつての連載記事『カシオのアウトドアウオッチ「PRO TREK」、20年の進化を紐解く』(シリーズ全5回)でより詳しく紹介している。執筆した私がいうのもアレだけれど、オススメです。ぜひご一読を。