――白倉さんは最初からプロデューサー志望だったのでしょうか。学生時代に8ミリで作品も撮られたりしていたとうかがったのですが。

8ミリを撮ったりすると、自分の才能のなさをまざまざと突きつけられますよね。それに、当時一番欠けているのはそこ(プロデューサー)かなと思っていたので。

――映画やテレビのプロデューサーと、特撮のプロデューサーの違いはどんなところにあるのでしょうか。

違いはないですね。どちらかといえば、大きいのはテレビと映画のプロデューサーの違いです。テレビと映画って全然別のメディアなんですよ。まったく異なるもの。本当は、同じプロデューサーという肩書きだとしても、スタンスが違って然るべきです。

話は逸れますが、つい先日、音楽レコーディング・スタジオに行く機会がありました。この仕事を30年近くやっているんですけれど、スタジオで飛び交っている言葉が、何を言っているかサッパリわからないんですよ。考えてみたら、楽譜も読めないとか、楽器も弾けないとか、歌も歌えないとか、そんな人には音楽業界で何かをやる資格がないんですよね。当たり前ですけれども。

ところが、テレビとか映画とか、特にストーリーメディアって、誰でもできると思っちゃうんですよね。「メディアがどういうものなのか」ということを教えるシステムもなければ、学ぼうとする姿勢もない。そういう中で、漫然とやっているというのがこの業界。これは不思議極まりないですね。現実的なことも含めて、一定のレベルの知識が前提になっていないと本当は何もできないはずなんだけど、"おもしろい話"とか"いい話"とか、そういう次元の思いつきでサラッとやれちゃうような誤解があるのは、不思議なところだなと思います。

昔、会社に入ってすぐのころに言われて、「ああ、なるほどな」と思ったのは、「君たちはテレビと映画というものを、同じようなものだと考えていないか」という指摘でした。「違うんだ。テレビというのはラジオなんだ。映画というのは演劇なんだ」と。要するに、お客さんの見方ですよね。

垂れ流しで見ているのがテレビであって、映画の場合は、映画館に入ったら普通スクリーンのほうを向いている。でも、テレビって、お茶の間だから、お客さんはテレビのほうは向いていないよって。洗い物をしながら、食事をしながら見るので、画面は下手すると見ていない。でも耳では聞こえているから、テレビって音で作るものなんだということなんですね。

よく脚本家の人が、「そんなことをわざわざセリフで言わなくても……」とか、「そんなことを言ったら無粋だ」とかって言うけれど、そうじゃなくてちゃんとセリフで言ってあげないと。「いや、俳優さんの表情でわかります」と監督が言ったとしても、その表情を客は見ていないんだから、それはきちんとセリフなりナレーションなりで、解説しないとテレビというのは伝わらんのだということですね。

一方、映画はすごく重い腰をあげてお金を払って、わざわざその場所に行って、もしくは誰と行くということまで考えて行くものだから、テレビとは全然違って、演劇とかコンサートとかに近いメディア。「そういうこともわからずに、君たちは漫然とテレビのでっかいのが映画で、映画の小さいのがテレビだというふうに思ってやっていないかね」と言われ、当時は「まだ入社一年目なんで何もやっていないんですけど……」と思いながらも、それは大変な誤解ではあるなと感じていました。

ビデオだ、配信だとメディアが多様化して、ワンソース・マルチユースというと聞こえはいいけれど、映画がスマホでも観られますというふうになると、結局は全部同じものなんじゃないかという気がしちゃいますよね。でも、逆はないですか。「これはスマホで観たくないな、映画館にかかるまで待ってみよう」というのがないんですよね。それぞれが全然違うメディアなんだというのをお客さんも無意識のうちに自覚しているんだけど、それを言語化しないで、作り手も漫然とやっているという感じがする。これは明確に区別しておかないといけないですよね。