クルマに関係ないプログラムも開催

3日間のプログラムのうち、タイトルでクルマを謳っているものは数個に過ぎない。いずれのプログラムも刺激的かつ最新鋭のコンテンツであることは間違いないが、モビリティに一切触れないものもあった。

しかし、登壇者の多くはモビリティ、クルマ、自動運転などに触れている。彼らが総じて口にするのは自動運転の実現した社会への期待感だ。運転から解放されたらこんなことができる、こんな移動の自由が手にできそうだ、そうしたらこんな新しいライフスタイルが実現できるのではないか…。一部には、ダイムラーがフランクフルト国際自動車ショーで披露したミュージカル以上に夢物語の要素が強い意見もあるが、それこそが重要。異分野の専門家が自動運転をどう受け止め、何に期待しているのか、多様な視点からの意見交換に価値がある。

コワーキングスペース(写真左)では小規模なワークショップを適宜開催。右は3Dプリンタがずらりと並んだコーナーだ。特段に珍しい装置ではないようだが、台数の多さに圧倒される(画像提供:Daimler AG)

また、会場の中央にあるメインステージでは、モーターショーで披露した車両を適宜入れ替えながらデモムービーを披露しており、来場者にここがダイムラーのイベント会場であることを時々思い起こさせてくれる。

とはいえ普段なら、ここは自慢のコンセプトモデルや市販モデルが並べられる場であり、クルマ好きが嬉々として写真を撮ったり、今度はこれに乗りたいなどとイメージを膨らませたりする場所だ。そのスペースを大幅に減らしたのは商業的にみれば、もったいないのかもしれない。me-conventionの入場料が約5万円とはいえ、来場者数は2,700人程度。会場のキャパシティーから見て収容人数には上限があり、いくらスポンサーを募ったところで、利益のことを考えたらまず割に合わないだろう。

それなのに、なぜダイムラーはme-conventionを開いたのか。私はダイムラーが世界との対比で自らのポジショニングを図る企業だからだと考える。

イノベーションを生み出すのは多様性と共創の場

いま、世界を賑わせている新しいビジネスはクローズドの研究室やオールドスタイルの価値観からは生まれていない。Facebookにしても、テスラやUberにしても、既成概念にとらわれない自由さが根底にある。そこに必要なのは適切なインプット、アイデアが広がるオープンな場、そしてアウトプットを共創できるパートナーなのだ。

その意味でSXSWは非常によく組み立てられている。いいアイデアは必ずしも熟考の先に出てくるわけではない。まったく関係ない話をしていたときに、ふと解決策が浮かぶという経験は誰しもあるのではないか。SXSWはそんな刺激に満ちたイベントだ。ジャンルにとらわれることなく、先進的で刺激的で良質なコンテンツを豊富に取りそろえる。多様なコンテンツがあるからこそ多様な人材が集まり、そこから新しいものが生まれる。

ただし、本家のSXSWがそうであるように、今回のme-conventionから自動車産業を潤すニュービジネスがどんどん生まれるわけではない。ハッカソンのアイデアが今日明日の商品企画に反映される確率は極めて低いだろうし、有能な人材を発掘できる保証もない。しかし、「実はSXSWがきっかけ」という好事例は存在する。恐らく、インスパイアレベルまで含めると、その影響力は計り知れない。そして、「何か面白いことをやっている」という評判は新たな情報と人材を引き寄せる。ここに醍醐味があるのではないか。

小さな卓球台や落書きスペースなど、童心にかえって無心になれる仕掛けがあちらこちらに置かれている(撮影:Aiko Hayashi)

第2回me-conventionが開催されるかどうかは今のところ分からない。しかし、世界の新たな潮流を体感するために、コラボレーションというカタチでイベントを開催したのはダイムラーの英断と言える。

日本メーカーにも若者のクルマ離れを憂うばかりでなく、未来を創る世代の感じている流れを体感し、共に流れを作っていくような決断を下してほしい。それは若者にこびることでも、若者向けの商品を開発することでもない。多様な価値観を持つ人材との共創活動なのである。