人事からも読み取れる米国市場開拓への想い
そのうえで、2003年の4世代目レガシィ以降は、米国市場を視野に車体を大型化し、2009年の5世代目では更なる大型化により米国向けにしていった。そして、2014年の6世代目ではついに国内には大きすぎる車体寸法となるなど、米国重視の開発が顕著なこの十数年である。国内向けとしては、代わりに「レヴォーグ」という新しいステーションワゴンを誕生させるに至っている。
また、5世代目レガシィを2009年に開発し終えたゼネラルマネージャーが、異動でスバル・オブ・アメリカの会長兼社長に就任し、自身が米国市場の実情をつぶさにみながら販売促進を行った。こうした人事も、米国でスバルの4輪駆動車を拡販する大きな力になったはずだ。
スバルの米国事業に見る“ものづくり”の本質
だが考えてみれば、これこそ“ものづくり”の本来の姿ではないだろうか。スバルの社員は、よく「うちは小さな会社だから、何でもやらなければならない」と口にするが、開発した新車が、単に作り手の自己満足に終わるのではなく、開発者が顧客と直接顔を合わせながら販売し、使って喜んでいる姿を確かめてはじめて、ものづくりが完結したことになるはずだ。これは自動車に限らず、どのようなものづくりにも当てはまる本質だと思う。
5世代目レガシィを開発したゼネラルマネージャーが米国に着任した2011年以降、スバルの販売台数は米国で着実に伸び続け、2011年度比で2015年度は2倍に膨れ上がっている。これにはレガシィアウトバックだけでなく、一回り小型のインプレッサを基に、アウトバック同様に車高を高めた「SUBARU XV」(北米ではクロストレックの車名で販売)の投入も効いているはずだ。
日本の自動車メーカーにとって、米国は引き続き魅力あふれる市場であり、開拓の余地はなお残っている。
対して欧州での日本車は、いまなお苦戦が続く。背景にあるのは、ドイツのアウトバーンと、欧州各地の一般道の速度域が時速80キロメートル前後と高いことにある。日本と米国の交通環境に慣れ親しんだ日本の自動車メーカーは、単に速度無制限のアウトバーンに限らず、日常的に走行速度の高い欧州で通用する性能や商品価値にたどり着けないでいる。
その点、米国は着想次第でまだまだ開拓の余地がある市場だ。また、日本人が創意工夫した新たな価値に好奇心をもって接してくれる、開拓者精神に富む米国人は、これまでも、そして今後も有り難いお客様なのである。