Fx0は「ジェネシス」を表現している?
Fx0は正直、デザイン的には実にバランスが取れている。オリジナルのネジでデザイン的なアクセントを付けていることでオリジナリティも高い。それでいて、縦横に走るラインによって動感を出している。なにか、ここにとどまっていないモノという感じだ。
それではFx0のデザインのなかには、ダヴィンチ1.0のような「クリエイティビティ」があるのだろうか? Fx0が伝えてくるのは、ダヴィンチのような物理的なハードウェア的なものではなく、
「何かが始まる」
という妙な動感だ。
そのスケルトンボディの内から放たれる光は何か神々しく見えるときがあり、僕はそれを何かがはじまる「ジェネシス(創世記)」を表現しているように感じてしまった。オリジナルネジはあちこちで起きている爆発のように見えてくる。
Fx0の持つ本質的なギーク的な部分というのは、機能的にはFirefox OSが他のOSと比較して抜群にソフト開発がしやすいということなわけだが、そのデザインはそれがもたらす「新しい時代の訪れ」、「新しい時代をもたらすんだという意思」を表現しているのではないかと思う。
さて、デザイン的な話はこのあたりにして、次回はFx0の機能について話をしたい。