ただ、ここでは右手の桜田濠を見ながら歩きたい。それはそれは勇壮で見事な江戸城内濠の風景である。浮世絵師の歌川広重は、1856年に「外桜田弁慶堀糀町」としてこの桜田濠を描いている。
半蔵門を通りすぎると、やがて左手にイギリス大使館が見えてくる。古地図を確認すると、その当時から既に「英國公使館」があったことがうかがえる。敷地の広さも全く変わっていないようだ。1862年には、騎馬のイギリス人が薩摩藩士に切られる「生麦事件」が起こり、1863年には薩英戦争が起こる。明治時代、日本とイギリスの関係はひどく不安定なものだった。
イギリス大使館の前は、桜並木の歩道になっている。第6代駐日イギリス公使となったアーネスト・サトウが植樹した桜を再現したものだ。アーネスト・サトウは通訳生として1862年に初来日。前述の生麦事件の賠償会談にも立ち会っている。その後、彼は25年間にわたり日本に滞在し、イギリスにおける「日本学」の礎を築くなどの功績を残したという。
やがて靖国神社へ辿り着いた。靖国神社の創建は1869年、本殿が竣工したのは1872年のこと。古地図にもはっきりと「靖國神社」と記されている。ただ面白いことに、大鳥居から本殿へ伸びる境内には「競馬場」と書かれている。調べてみると、ここには1870年から1898年まで洋式競馬場があったという。
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今回は、アプリを使って古い地図を参照しながら皇居の西外郭を歩いてみた。江戸時代、明治時代というと大昔のように感じるが、皇居周辺ではまだ歴史の面影を探すことが可能だった。古地図とGoogleマップを比べてみて驚いたのは、当時の測量技術の正確さ。鎖国を続けながらも、独自の文化を発展させ水準を上げていった様子が、地図の上からも読み取れる思いだった。最後に蛇足ながら、伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を完成させたのは1816年のことである。
皇居周辺には、桜の名所も多い。千鳥ヶ淵周辺の桜などは、つぼみがふくらみつつあるように感じた。小春日和に、桜を愛でつつ1880年代の古地図を見ながら都内を散歩する。そんな風流な時間の過ごし方を提案しつつ、本稿を終わりたい。