鹿鳴館は、外国からの賓客や外交官をもてなすために建てられた社交場。明治政府から依頼を受けたジョサイア・コンドルが設計を担当、1883年に開館した。東京図測量原図には、庭園の歩道や池まで描き込まれている。往時の華やかな様子が、地図からも伝わってくるようだ。

帝国ホテルやオフィスビルなどが立ち並ぶ一角に、かつて鹿鳴館と呼ばれる社交場が存在した。跡地には現在、記念碑が設置されている(写真右)

鹿鳴館が開館したのは1883年。古地図には庭園の歩道や池などが、こと細かに描き込まれている(写真右)

皇居の南に位置する日比谷公園にも立ち寄った。幕末には、藩の上屋敷が置かれていた地区だ。古地図で確認すると、明治の御世には「陸軍練兵場」になっていたのが分かる。現在はその半分が日比谷公園になり、もう半分には「東京地方検察庁」「法務省」などが置かれている。

皇居の南に位置する日比谷公園。丸の内で働くサラリーマンのオアシスである

この地区、幕末には藩の上屋敷が置かれていた。大名の廃止後に更地となり、明治時代には陸軍練兵場になったようだ

ここから皇居伝いに歩く。桜田門には、大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」を思い起こす人も多いだろう。事件が起こったのは1860年のこと。東京図測量原図がかかれた20年数前のことである。

大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起こったのは、1860年のこと

皇居の外郭は、130年前と全く変わっていない

半蔵門を目指して歩く。途中、国会議事堂や最高裁判所の建物が左手に確認できた。ちなみに伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任したのは1885年のことだ。