案内板によれば、門には鉄砲十挺、弓五張、持筒二挺が備えられ、外様大名が1年交代で警備に当たっていたとのことだ。

東京国際フォーラム近くの、鍛冶橋の交差点には案内板が立っていた。ここに江戸城の外郭門、鍛冶橋御門があったという

丸の内界隈には、歴史を感じさせる立派な建物が多い。三菱一号館美術館や東京駅の駅舎などは、その好例と言える。三菱一号館はジョサイア・コンドル、東京駅は辰野金吾の設計による建物だ。東京駅の建設工事が本格化したのは1908年のことで、当然ながら1880年代の古地図には駅を示す記述は何もない。東京駅の辺りには、その当時「東京控訴裁判所」「法学校」「監獄署」「司法省」などが置かれていたようだ。さらに東京駅の八重洲南口あたりを古地図で確認すると、江戸城の外堀が走っていたことが分かる。これを埋め立てて出来たのが、現在の「外堀通り」というわけだ。

建築士の辰野金吾による東京駅の駅舎(写真左)と、ジョサイア・コンドルによる三菱一号館(写真右)

東京駅周辺の地図を見比べる。この周辺には東京控訴裁判所や司法省などが置かれていた。八重洲の辺りには、江戸城の外堀が走っていた。現在はここを自動車が走っている

帝国ホテルや東京電力、オフィスビルなどが立ち並ぶ一角に足を運ぶ。古地図で確認してみると、ここには「鹿鳴館」があったようだ。