――3D立体視の映画を作るというのが発端ということですが、そこは監督ご自身も注目しているところだったのでしょうか?
神山監督「この作品の前に『攻殻機動隊』の3Dを作ったのですが、あれは元々2Dで作ったものを擬似的に3Dとして見せているもので、手描きのアニメーションを3D映画にするためにはいくつかハードルがあります。技術的にはある程度可能だし、攻殻の3Dも上手くいったとは思っていますが、2Dのものを擬似的に立体視で見せているので、まだまだ表現としては弱いところがあった。とはいえ、ピクサーに代表されるような海外の3Dアニメーションは、まだ日本に馴染んでいないし、予算的にもスケジュール的にもかなり厳しい。その中で、今回のような2Dとして見えるような形での手法を使えば、情報量、データ量を減らすことができるので作業効率も上がるし、そもそもアニメを見てくれるファンの方たちが求めている映像は、日本のアニメーションが培ってきた手描きアニメーションの手法や表現、いわゆる2Dベースのものなんですね」
――たしかに現在の日本ではあまりフル3Dの作品はまだまだメジャーではないですね
神山監督「ただ、作っていくうちに、3Dアニメーションのポテンシャルが思いのほか高いことに気づいた。表現の自由度がすごく上がるし、そして何より演出の幅も広がるんですよ。そのあたりは、すごく面白かったですし、興味深い部分でもあったので、3Dでアニメーションを作ることへのモチベーションも自然と高くなっていきました」
――表現の自由度が上がるというのは?
神山監督「今回の作品で一番わかりやすいのはスローモーションの表現ですね。もちろん手描きでもある程度可能ではあるんですけど、人的パワーだけで表現するにはなかなか難しい部分がある。あとはカメラの移動。これも今までのアニメでも強引にやることはできたけれど、一定のクオリティを保った中で表現していくのはなかなかに難しい。でも、3Dであれば、擬似的に作った空間の中でカメラ移動もできるし、スローモーションの表現も比較的容易にできる」
――監督の思うとおりに演出できるわけですね
神山監督「あと、手描きの作画だと、ひとつの芝居に関しても、打ち合わせをして、その絵があがってきて、それをチェックして、それをまたイメージに近づけるために修正していく、という流れになるのですが、それを理想に近づけるまで繰り返すのは、予算的にもスケジュール的にもかなり難しい。でも、3Dであれば、作業の途中で何度でもチェックできるし、一度レンダリングしてみて、またやり直すといったトライアンドエラーも非常にやりやすい。とても細かいレベルまでフレキシブルにアニメーションを作ることが可能になるわけです。それが僕にとっては、すごくエキサイティングな部分でした」
――今回の場合、やはり演出面でも立体視を意識したものになっているのでしょうか?
神山監督「もちろんそういった部分もあります。ただ、立体視ばかりを意識してしまうと、本当に3Dの効果を狙いたい部分で、せっかくの立体視が活きてこなくなるので、あまり多用するべきではないだろうと。それよりも、観ている人が立体感に対して違和感を持たず、それでいて、通常のセルアニメではありえなかった空間への没入感みたいなものを可能な限りナチュラルに感じてもらえるような演出を心掛けています」
――立体視だからといって無理に飛び出させる必要はないということですね
神山監督「立体にしたときに、リアルに感じつつもやっぱりその空間が存在する意義、そのギリギリのところを狙っているので、あまり極端に飛び出して見えるといった演出は避けています。あと、カメラに被写体が近づいてくると物は大きく見えるのが普通じゃないですか。でも3D空間の中で、視差だけを使って近づけると、いくら手前に迫ってきても、物自体の大きさは変わらないので、むしろ小さく見えてしまう。つまり、あまり任意の視差よりも飛び出させてしまうと、逆に迫力を失う場合があるんですよ。まさにエッシャーの騙し絵じゃないですけど、近寄せれば近寄せるほど、小さく感じてしまうことがある。なので、単純に3Dで飛び出させるのではなく、多少手前には持ってくるけれど、むしろ背景をいじるとか、いろいろ手法を使うことで、迫力を出しつつもリアリティを残すような視差のつけ方を念頭に置いた演出になっていると思います」