―― 話題が少し戻りますが、カシオミニの開発期間はどのくらいだったのでしょうか?
樫尾氏「羽方君がホテルに2週間くらい泊まりこんでLSI設計したのが、年の暮れでしたね。その1カ月前の11月に、私がキーボードを考えました。設計の段階で『このスイッチでどうだい』と聞いたところ、羽方君が『いけますよ!』ということで、正式な開発がスタートしました。翌年の4月にはほぼ完成して、量産を開始しました。超特急でしたね。
先ほど、当時は電卓戦争と言われていたと話しましたが、電卓が作りやすい時代でした。標準的な8桁の電卓なら、半導体メーカー製のLSIを使って組み立てるだけで作れたので、多くのメーカーが参入していました。そのような状況で、カシオミニのために、小数点のない6桁のLSIを自分たちで設計したのです。半導体メーカーに製造を発注するときには、電卓用ではなく制御機器のカウンターとしてお願いしました。電卓用としては機能が劣るLSIに、電卓用の値段を付けられたら困りますからね」
樫尾氏「また、極秘で開発を進めたのがディスプレイです。それまでは、1桁に1個の蛍光表示管を使っていたので、6桁なら6個の蛍光表示管が必要になります。コストもかかりますから、1つのディスプレイで6桁を表示させることも考えました。
しかし、そのディスプレイを発注すると、6桁の電卓を開発していることがばれてしまいます。初代のカシオミニは、あえて従来の方法(6桁表示に6個の蛍光表示管)を採用しました。いずれ1つのディスプレイにすることで、大幅なコストダウンができる余地を残していました」
―― カシオミニを発売したあと、他のメーカーから競合製品が出るまで時間がかかっています。やはり、技術的に1歩も2歩も先んじていたのですね。
樫尾氏「当時はLSIの設計から完成まで、半年くらいかかるものでした。当然ですが、カシオミニのLSIは極秘で開発していて、急いで同じもの作ろうとしても半年かかるわけです。その他の技術面でも多くの工夫をしましたので、競合製品が出て来るのは半年以上は先と思っていました。
とはいえ、LSIの進化に伴って、どんどん小型化が進んだ時代です。我々がカシオミニを開発しなくても、必ずどこかがやる流れであったとは思います。カシオは少しだけ早くやったということですね。
実際には、カシオミニがヒットするとは、他社もしばらく予測できていなかったと思います。6桁の電卓なんて売れないと考えていたのかもしれません。結果、競合製品が出てくるのは、思っていたより遅かったのです。もっとも、カシオミニが本当にヒットするまでは、カシオの営業マンですら『本当に売れるのか』と疑心暗鬼な部分がありましたが(笑)」
―― 電卓戦争の当時、大手メーカーも参入していたと思います。大手のほうが有利だったように思えますが。
樫尾氏「ある大手メーカーが電卓から撤退するとき、そのメーカーの社長がこう言っていました。『私たちは、経営の中で電卓のことを考えていたのはわずかしかなかった。カシオさんは、24時間、全員が電卓のことを考えている。だから、かなうわけありません』と。
大手メーカーは他に本業があったりして、どこまでの力を電卓の開発に注ぎ込むかが悩みどころですが、私たちは電卓しかない。やらなかったら会社がなくなってしまう。社員や家族の生活も壊れてしまいます。その後も専業メーカーの倒産や大手メーカーの撤退がありましたが、私たちは電卓しかできない強みというか弱みというか…、社員全員が一丸で電卓をやってきました」
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