―― 開発から完成、そして発売、販売までは、いろいろな不安などもあったと思います。
樫尾氏「計算が6桁までで、小数点のない電卓が果たして売れるのかという心配はありました。当時は8桁が主流でしたので、これで電卓と言えるのかなと。それに対しては、営業担当の樫尾和雄(当時専務・現社長)が『いや大丈夫だ。ポケットサイズで1万円そこそこなら絶対に売れる。新しい事業が生まれるはずだ』と言いました。
当時は、1つの機種が月に数千台も売れればヒット商品でした。そこでも和雄が『新しいマーケットが開ける。1桁多く売れるようになる』として、月に10万台の生産となりました。10万台ともなると、量産効果が出ます。『これはいけるよ』という和雄の強い押しがあったことで、月産10万台という大きな決断ができました。
その頃の時代は電卓戦争と言われるくらい、いろいろなメーカーが電卓を作っていました。開発だけでなく、販売もまた激戦です。販売の面では、カシオミニを発売する1年ほど前、国内の文具卸を中心にした強力な販売網ができていたんですね。その前年には東京証券取引所に上場しており、会社としても財務基盤が強化されていました。『答一発、カシオミニ』という軽快なテレビCMを積極的にやれたことも大きいです。開発だけでなく、会社としての様々な基盤ができていたことが幸いであったと思います」
―― 卓上型の計算機が4万円近くしていたものを、1万円にするためにどの部分でコストを削減したのでしょうか?
樫尾氏「部品の中でも、LSIが最も高価でした。集積度が上がったとはいえ、最低でも4個のLSIを使う必要がありました。それを1個にすれば、LSIのコストは4分の1になります。これは、羽方君が徹底的に取り組み、1チップ化を実現してくれました。
次にコスト高なのはキーボードです。それまでは、キーの1つ1つを磁石で動かすリードスイッチを使っていたので、非常にコストがかかる。キーの高さもあり、とても小型化できない。それを何とかしなくてはと、私が考えたのが1枚の金属板に作った渦巻型の接点です。スプリングの役割にもなるので、大幅なコストとスペースの削減になりました。さらに、余計な配線もしなくてすむ。この結果、1万円台で、ポケットに入る電卓が可能になったのです」
―― 横型の本体や丸いボタン(当時の電卓は四角ボタンが一般的)、本体の質感なども、当時としては独創的でした。
樫尾氏「まず、丸いボタンは作りやすかったのです。ボタンとボタンの区切りは四角のままですね。それよりも本体を横型にしたほうに意味があり、『これまでの電卓とは違うぞ』というイメージです。実は、横型のほうが設計しやすかったこともあるんですが。
デザインとしては、当時のコンパクトカメラを意識していました。皺(しぼ)模様と言うのかな、ちょっと薄い革のような、カメラを意識した仕上げになっています。そしてストラップを付ける。ストラップは付加的なものでコストアップにもなるのですが、個人携帯用ということで付けました。携帯性が強調されたこともあり、ストラップは正解だったと思います」
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