――阿部さんが手掛けた近年の作品では、やはり全国的に大ヒットした『ALWAYS 三丁目の夕日』が思い浮かびます。
阿部「この企画はもともと反対されたんですよ。製作委員会からも社員からも『誰が観るんですか』と(笑)。確かに昭和ブームもひと息ついた頃ではあったのですが、僕は『まだ昭和ブームの"核"になるものはない』と思っていたんです。そして、その核を担うのは映画に違いないと。僕自身は小・中学校生の多感な時期に建設中の東京タワーを見て、強烈に脳裏に焼き付いていたんです。僕のその思いと『三丁目の夕日』という作品が結びついて、この映画が出来上がっていったわけなんです」
――この作品で監督を務められた山崎貴監督についてはどのような印象をもっていますか。
阿部「彼との出会いは12年ほど前。彼が『こんなシナリオ書いたんです』と言って僕のところに持って来たのが始まりでしたね。それ以降、彼と組んで映画『ジュブナイル』(2000年)、『リターナー』(2002年)と立て続けに良い作品を作ることが出来たんです。『ALWAYS 三丁目の夕日』の監督に彼を抜擢した時、最初、『何で僕なんですか? 』って言ってたんですけど、『自分の頭の中にあるものはCGで表現できても、実際にあったものを再現することは出来ないだろ? 』と僕が言ったら『出来ます!!』と(笑)。結果的に、あれだけ多くの方々に支持される映画を生み出すことができたわけですからね。相手が『嫌だ』ということを、なんとか自発的にやりたい気持ちにさせていく、それがプロデューサーの仕事のひとつですよね」
――人を動かすことがプロデューサーとしての醍醐味であると。
阿部「映像以外でもなんでもそうなんですが、分からないからこそ、知らないからこそ言える自由な意見・発想って絶対にあると思うんですよ。一見、無茶に思えることでも、それによって作品の表現が格段にレベルアップすることって確実にあるんです。もちろん、動かす相手に対する配慮もしますが、その部分はこれからも忘れずにいたいです」
――阿部さんにおける、映画作りのこだわりとは。
阿部「映画というのはキャスト、スタッフを合わせて実にたくさんの人々が関わっていますよね。ちょっとオーバーだけど、皆さん命をかけて映画を制作しているんですよ。ですから、映画を1本作る以上、見て下さった人に何かをつかんで欲しいんです。1分でもいいから家族のことを想うとか、生き方について考えるとか。影響、とまで言うとおこがましいですが、人生に良い影響を与えることの出来る映画を作ること、それが自分にとってのこだわりですね。ただ、ビジネスになれば何でもいいのかと思うことも当然ありますし、プロデューサーとしてはそこの兼ね合いが難しいですよね」……続きを読む