――振り返ってみると、ROBOTでの24年間は順調だったでしょうか?

阿部「あくまでもそれは"結果的に"ですよ。それこそ24年前、ROBOTを立ち上げ時はお祝いの花なんてたったひとつしか届かなかったんですよ(笑)。立ち上げ当初、事業の中心はCM制作だったのですが、映画製作に関しては、岩井俊二くんとの出会いが非常に大きかったと思います。おかげさまで一番最初に作った映画『Love Letter』でROBOTという名前を世に広く知らしめることが出来ましたから。スクリーンに自分の会社のクレジットが映っているのを見た時は、さすがに涙が出ましたね。その感動と衝撃は今でも強烈に覚えています」

――その後、立て続けにヒット作を手がけ、ROBOTは一躍有名になると同時に、日本映画界で確固たる地位を築いていきましたよね。

阿部「細かく振り返っていくとそれなりに反省点はありますけど、さまざまな人たちとの出会いや支えによって、幸運にも今日まで映画製作を続けていくことが出来ましたね。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』しかり、『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』しかり…。そういった意味では、今まで関わって下さったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいですね」

あっという間だったROBOTでの24年間を振り返りつつ、新たな一歩を踏み出した阿部氏。引き続き、日本全国に大ブームを巻き起こした彼の代表作、そしてプロデューサーとしてのこだわりについて伺った。……続きを読む