映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)や『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(2010年)など、数多くの大ヒット映画、話題作を手がけ、日本映画界において絶大の存在感を放つクリエイティブ・プロダクション「ROBOT」。同社の創業者でありプロデューサーでもある阿部秀司氏が、2010年7月、60歳にして独立し、自らの名前を冠した阿部秀司事務所を立ち上げた。パワフルに活動を続ける阿部氏に、これまでの道のりと今後の展望について話を伺った。
――まずは、どうしてこのタイミングでの独立を決意されたのですか?
阿部秀司(以下、阿部)「単純に60歳という節目ということもありましたし、『このまま俺、ずっとここにいるのか? 』という自分に対する問いかけに対する答えでもあったんですよ。それは会社に不満があったというわけではなく、改めて自分自身の可能性を試してみたかったから、というのが大きいかもしれないですね。今から24年前、36歳の時に広告代理店を辞めてROBOTを立ち上げ、岩井俊二監督の映画『Love Letter』(1995年)を手がけて16年。これからは映画というものに絞って取り組みたかったということですね。また、『ROBOT』といういわば自分の子供が生まれて24年経ち、産みの親としてはそろそろ子離れしてもいい頃なんじゃないのかなと(笑)」……続きを読む
阿部秀司(あべ しゅうじ)
1949年、東京都出身。慶応義塾大学法学部卒業後、1974年に第一企画入社。コピーライター、CMプロデューサー、クリエイティブ・ディレクターとして活躍後、1986年クリエイティブ・プロダクション「ROBOT」を設立。1995年に岩井俊二監督の映画『Love Letter』を機に映画事業をスタート。エグゼクティブ・プロデューサーとして、これまでに数多くの若き優秀な映画監督をデビューさせてきた。主な監督は、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴監督、『踊る大捜査線』シリーズの本広克行監督、『海猿 ウミザル』シリーズの羽住英一郎監督、『ガチ☆ボーイ』(2008年)の小泉徳宏監督など。また、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズは、国内の数多くの映画賞を受賞したほか、2005年にはプロデューサーへの賞である藤本賞特別賞を受賞している。2010年7月に自身のフルネームを入れた新事務所「阿部秀司事務所」を立ち上げた。