近年のアメコミ・ヒーロー映画は、過去よくあったような単純なヒーローものでは最早ないとよく言われる。『スパイダーマン』に代表されるヒーローたちは、己の苦しみや悩みに立ち向かう姿を見せて共感を呼び、ヒットを生んできた。
だが、それらの映画においても、あくまでもヒーローは「善」、悪人は道を踏み外した者に過ぎない。世界には秩序があり、ヒーローの役割とはその秩序を守ることだった。
だが『ダークナイト』では、あらゆる秩序はあっけなくジョーカーに崩壊させられてしまう。
本作に登場する悪役、ジョーカーは、ティム・バートン版『バットマン』でジャック・ニコルソンが演じていたような陽気なサイコパスではない。道化師スーツの中には笑いガスではなく、爆薬と銃器がびっしり詰まったハードコアさだ。仲間も敵も構わず背後から撃ち殺し、強奪した金に火をつけ、保身の意欲さえもなく自滅ギリギリの行動を繰り返す、その破壊行動に理由や目的は一切ない。自ら動機を語り出す場面もあるが、それもすべてが恐ろしいほどデタラメだ。
こんな無軌道なキャラクターを演じきったヒース・レジャーには、ただ感嘆するしかない。突然の夭逝が本当に惜しまれる。
ただひたすらに破壊を求めるジョーカーには、説得も脅迫も懐柔も一切通じない。バットマンも、警察も、ギャングも、一般市民も、なす術もなく彼の邪悪なペースに巻き込まれてしまう。世界の先端に位置する大都会ゴッサムシティが、あっという間にこの世の地獄と化していくさまは恐ろしい。
『バットマン ビギンズ』で活動を始めたばかりのバットマン=ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)はまだ新米なこともあり、他の人々と共にジョーカーに翻弄され通しだ。。幼なじみのレイチェル(撮影スケジュールの都合で、女優は前作のケイティ・ホームズからマギー・ギレンホールに交代)にはフラれるし、自分が守っていたはずの市民たちからはバッシングされ始めるし、いっそバットマンなんかやめちゃったらどうかな……という弱気も生じてくる。
だが幸いなことに、ブルースには精神の支えとなる存在が3人もいる。執事のアルフレッド(マイケル・ケイン)、同僚で武器開発担当のルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)、同志であるゴッサム市警のゴードン(ゲイリー・オールドマン)だ。
前作でブルースの父の役割を担っていたアルフレッドは、今回も自分の人生経験を語り(実はかなり謎の経歴の持ち主)ブルースを慰めたりする良き父親/母親役だが、本作ではルーシャスとゴードンもそれに近い役割を与えられている。立場も性格も違うが、それぞれに揺るぎない信念と深い愛情を持つ彼らは、ブルースにとっては人類の良心を代表する重要な人々だ。理想的な父親像ともいえる彼らがいたおかげで、バットマンはジョーカーが招いた無秩序の闇から、自分が命をかけるべき一筋の希望を見出していく。
正直『ビギンズ』の時はさほど意味がないようにも思えた豪華キャストだったが、本作での彼らはこうした人格を演じられる配役として、十二分に存在感を放つこととなった。
今回、彼らに加えてブルースが信頼を寄せるのが新キャラのハービー・デント(アーロン・エッカート)だ。彼はレイチェルの新恋人なので、心穏やかではいられないのだが、それでも検事である彼が正義のためにりりしく戦う姿を見て、すっかり魅了されてしまう。彼こそが真のヒーローにふさわしいとまで思い詰めるのだ。
だが映画が進むにつれ、デントは絶対的な正義がいかに脆いものか、くしくも証明する存在となってしまう。
テロの世紀、不安の時代である現在、私たちが住んでいる世界からは「正義=こっち側」「悪=あっち側」と言えるような明確な秩序は失われている。社会は何かを拠り所にしないと成立しないが、その拠り所もグラグラだ。誰も信じられないこの世界では、お互いに不安のまなざしを投げかけるしかない。『ダークナイト』はこの現実を反映させた初めてのアメコミヒーロー映画だと言えるだろう。
そんな重いテーマなの!? と心配になるかもしれない。だが才能豊かな表現力を持つ俳優たちによるドラマ、IMAX技術を惜しげもなく使った臨場感あふれる画面、ヒーローものならではの迫力あるアクション、クールな道具だて(新しいバットポッドのシーンは超絶カッコいい!)など、『ダークナイト』は娯楽作としても完璧だからこそ大ヒットしたのだ。 そして何より映画のラストには、この混沌の時代を切り裂くようなカタルシスが待っている。そう、いま私たちが真に見たかったのは、こんなヒーローだったのだ。