都市景観の変化は、画家たちにさり気ない市民の暮らしを描かせるようになった。右手前はデブータン「乳母車」(1880年頃)、その左がトリュシュ「ブローニュの森、マドリード宮跡の別荘風レストラン」

第2章「パリの市民生活の哀歓」では、当時のパリに生きた市民が主役だ。この時代、パリ・コミューンの蜂起を経て、プチブルと呼ばれる豊かな市民階層が誕生した。美しく生まれ変わったパリは、そうした人々に豊かな市民生活の場を提供した。家庭生活や余暇を楽しみ、趣味や娯楽に没頭する市民たち。そんな場面に触発されて、芸術家たちは新しい市民のための芸術を生み出していく。

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)の「ニニ・ロペスの肖像」(1876年)は、そんな時代を象徴するかのような美しさを持つ町娘がモデルだ。アベル・トリュシェ(1857~1918)の「ブローニュの森、マドリード宮跡の別荘風レストラン」(1895年頃)では、かつて宮殿だった一角に建つレストランで市民たちが憩う風景が、またジャン=フランソワ・ラファエリ(1850~1924)の「パリの市庁舎」(1890年)では、過去の忌まわしい歴史を記憶するこの場所を闊歩するパリ市民の姿が、明るいタッチで描かれている。

写真は、パリ市民の変貌ぶりをさらによく伝えている。ポール・ジェニオー(1873~1914以降)はアマチュア写真家だが、小型カメラを手に入れてパリの街角を歩き回り、そこでくりひろげられているさり気ない市民生活をレンズに収めた。その作品は芸術作品と呼ぶには異論があるかもしれないが、当時の人々の表情を見事にとらえたドキュメンタリー写真として高く評価されてよい。

ポール・ジェニオー 《四旬節中日(ミ・カレーム)の服装をした子ども》 1900年頃 オルセー美術館 (c)Photo RMN -(c)René- Gabriel Ojéda/distributed by DNPAC

だが、何と言ってもパリの小市民の気分をもっともよく描いたのは、画家で版画家でもあるオノレ・ドーミエ(1808~1879)だろう。ルイ・フィリップ王をはじめ政治家や高官を徹底的にこき下ろす風刺漫画で市民の人気を得たドーミエは、パリの社会風俗を温もりのある眼差しでユーモラスに描いた。その作品が20点ほどまとめて展示されている。絵画や写真では伝わらないパリ市民の本音が、ここにはある。これもまた、パリという街だからこそ生れた芸術だ。

作者もモデルも大芸術家揃い

第3章と第4章はいずれも「パリジャンとパリジェンヌ─男と女のドラマ」と題され、それぞれ絵画と彫刻に分けて作品が展示されている。この時代、「花の都」パリには芸術家だけでなく社交界もふくめて綺羅星のごとき顔ぶれが集っていた。この2つの章は、そうした人々が描いた、あるいは描かれた絵画と写真、彫刻を集めている。いわばパリ栄光の100年を多彩に彩った紳士淑女録と言ってもいい。

第3章には、当時のパリの名士や夫人、令嬢の肖像画がずらり並んで華やかさに包まれる

中でも、第3章で重点をおいて展示されているのがヴィクトル・ユーゴー(1802~1885)。『レ・ミゼラブル』や『ノートル=ダム・ド・パリ』などの名作で知られるユーゴーは、19世紀を代表するフランスの詩人、劇作家、小説家だが、生涯にわたりすぐれた素描家でもあった。生涯にペンとインクによる淡彩画を3,500枚以上も残しており、その画風は20世紀美術にも影響を与えたとする評価もあるほどだ。今回は、「嵐の古城」(1837年)と「3本の木のある風景」(1850年)で、その才能を思い知らされるだろう。

さらに、絵画化されたユーゴー文学の展示が続く。中でもルイ・ブーランジェ(1806~1867)の水彩による7点シリーズ『ノートル=ダム・ド・パリ』は見もの。ユーゴーと親交が深く、しばしばユーゴー作品から画題を得ているブーランジェだが、このシリーズは特に傑作に数えられる。世紀のベストセラーである『ノートル=ダム・ド・パリ』はさまざまな著名画家が挿絵に挑戦しているが、ブーランジェのものは難解さがなく分かりやすい。

ユーゴーの他にも、この時代のパリに生きた錚々たる男女が登場する。ルノワールの「ボニエール夫人の肖像」(1889年)、ポール・セザンヌ(1839~1906)の「聖アントワーヌの誘惑」(1877年頃)、ギュスターヴ・モローの「レダ」などの作品。ユトリロの母親であり、ルノワールやロートレックのモデルとしても知られるシュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938)の作品も5点あり注目だ。

ポール・セザンヌ 《聖アントワーヌの誘惑》 1877年頃 オルセー美術館 (c)Photo RMN-(c)Hervé Lewandowski/distributed by DNPAC

さらにこの第3章で目を引くのは、有名な写真家ナダール(1820~1910)が撮影した肖像写真の数々だ。ジャーナリストとして活躍し、風刺画家としても才能を発揮していたナダールは、1854年から写真家に転じ、パリに開業した写真館で文化人や女優、政治家などを顧客に肖像写真を数多く撮影した。会場には自写像のほか、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマ、ボード・レール、エドガー・ドガといった、当時のパリを象徴する錚々たる名士たちの肖像写真が並ぶ。

すぐ隣りには、ルノワールの「ボニエール夫人の肖像」をはじめとして、当時の名士、貴婦人、令嬢などを描いた肖像画の名品がずらり展示されて圧巻だが、ナダールの肖像写真はそれらに劣ることのない存在感を放って、見る者の足を止める。小道具などを使わないシンプルな画面構成、アングルや照明が描き出す被写体の内面性。ナダールの写真は、その人物の精神性まで描ききって、見る者に深い感動を与える。

ナダールの肖像写真のサイズは小さいが、見る者に大きな感動を与える

マイヨールの「ポモナ(腕を下げた)」(左)や「アルモニー」(右)などの彫刻が並ぶ第4章

ピエール=オーギュスト・ルノワール 《ボニエール夫人の肖像》 1889年 プティ・パレ美術館 (c)Photo RMN-(c)Bulloz/distributed by DNPAC

第4章は同じテーマで、オーギュスト・ロダン(1840~1917)を中心に、エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861~1929)、アリスティード・マイヨール(1861~1944)という、パリが育んだ3人の優れた彫刻家の作品が並ぶ。ボードレール、バルザック、ユーゴーといった同時代の巨匠たちの肖像にも出会える。ここで多くを語る必要はないだろう。巨匠たちの造形に投影された人間性をとくと鑑賞していただきたい。