1990年代ゾーンへ進むと、展示された作品の趣ががらりと変る。一年のブランクの後、テレビ局「チャンネル4」がスポンサーとして参加、賞金総額を2万ポンドに倍増して、授賞式もテレビ中継するなど、大がかりなイベントに衣替えした。50歳以下の候補者4人の作品をテートギャラリーの企画展示室に展示するという、今日のスタイルが確立したのも、この時からだ。チャールズ・サーチという大コレクターの出現も、大きな支えとなった。
1990年代ゾーンは、ヴィデオ・アートから始まる。ダグラス・ゴードンの「正当化された罪人の告白」、ジリアン・ウェアリングの「60分間の沈黙」と「サーシャとママ」。少し先にはスティーヴ・マックィーンの「無表情」の上映ブースもある。順に1996年、1997年、1999年のターナー賞受賞者だ。こうしたヴィデオの台頭は90年代の美術界の大きな特徴であり、ターナー賞23年の歴史の中でももっとも顕著な変化の一つだと、前述のセロータ館長は振り返る。
「正当化された罪人の告白」は、映画「ジキル博士とハイド氏」の映像を二つの画面に投影し、善と悪の間で苦悩する人間の姿を描く。既存の映像を流用して新たな映像に再構成する手法はゴードンならではの世界だ。「60分間の沈黙」は、警官の一団を整列させ、60分間話すことも動くことも禁じて静止する姿をただ記録しただけのもの。咳をしたり、かすかに動いたりしながら、60分間が過ぎたとき、この作品のクライマックスが訪れる。何が起きるか、あなたもスクリーンの前で60分間静止して待つことだ。余談だが、この1997年は、ウェアリングはじめ4人の候補者がすべて女性だった。
26人の警察官がただじっとし続けるジリアン・ウェアリング「60分間の沈黙」は、60分目にクライマックスが訪れる |
通路の真中に立つのは、アントニー・ゴームリーの彫刻「浸礼」(1991)。左手に奥に「見ることを学んでいる」(1991)が見える |
その先には、いよいよ1990年代の英国美術を象徴する「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」たちが待ち受ける。人体彫刻に新たな手法を開拓したアントニー・ゴームリー(1994年受賞)の作品が並ぶ通路を通り抜け、次に部屋に入ると、目の前に2頭の牛が出現する。ブルーのホルマリン溶液の中に立つ牛は、2頭とも体の中央で真二つに切断されている。YBAを代表する存在であるデミアン・ハースト(1995年受賞)のあまりにも有名な作品「母と子、分断されて」だ。言うまでもなく、今回の展覧会の目玉である。
ホルスタイン種の母牛と仔牛は、鼻先から尻尾の先まですっぱりと一刀両断に二分され、体を左右に離して展示されている。だから、切断された牛の体の間に入って、その断面を鑑賞することすらできる。目の前にあるのは、生きものの屍骸、それも無残に体を切断された牛のはずなのに、恐怖心や気持ち悪さを感じない。女性でさえ体の間に入っていって、切り取られた内臓の断面を、まるで絵画でも見るかのようにじっと鑑賞している。
ホルマリン漬けにされた牛の母子を前にすると、長い時間無言で見入ってしまう人が多い |
デミアン・ハースト《母と子、分断されて》1993年 208.6x332.5x109cm(x2)、113.6x169x62cm (x2) スチール、ガラス強化プラスチック、ガラス、シリコン、牛、子牛、ホルムアルデヒド溶液 アストルップ・ファーンリ近代美術館、オスロ蔵 |
1993年のヴェネツィア・ビエンナーレに出品されたこの作品だけでなく、ハーストの作品は常に衝撃的で、物議をかもしてきた。見る者に生と死を強く意識させるが、ハースト自身は作品の真意を決して語ろうとはしない。次々と発表されるスキャンダラスな作品。話題を集める派手な行動。デミアン・ハーストがもたらした新しいアーティスト像は、ターナー賞と英国現代美術の象徴といっても過言ではない。
ハーストの先に、これまたターナー賞に伝説を作ったアーティストであるレイチェル・ホワイトリード(1993年受賞)の有名な「ハウス」が展示されている。ヴィクトリア朝ハウスの内部空間全体をコンクリートで型取りして作品としたものだ。後に当局に取り壊されたことでも話題になった。もちろん作品そのものは存在しないので、当時の写真が展示されている。空間の陰と陽を反転することで、日常空間に別の意味が見えてくる。
部屋の突き当たりに展示された原色の絵画2点は、クリス・オフィリ(1998年受賞)の作品。オフィリは象の糞を素材とすることで知られるが、この2点もカンヴァスの台座や画面そのものに象の糞が使われている。こうしたセンセーショナルな作品は、高尚だった美術のハードルを下げ、一般の人々の間にまで観客を拡大した。このコーナーでは、そんな現代美術世界の生き生きとした息づかいが伝わってくる。