いよいよ会場に入ろう。場内は、ターナー賞の歴史に合わせて年代別に3ゾーンに分かれているが、その手前に賞の名称の由来であるジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)晩年の作品「岸で砕ける波」が掲げられている。この作品は、日本初公開はもちろんだが、第二次大戦後に公開されるのは、これが世界でも初めてという貴重な作品だ。現代美術ではないが、見逃せない。
ターナーは、若いアーティストのための賞の設立を望むと遺言に記した。一般市民が新しい美術に関心を持てる賞の設立を目指していた主催者は、英国を代表する国民的画家ターナーの名を冠することで、国民的な賞に育てたいと考えたのだろう。新しい賞の名称は「ターナー賞」と決まった。当初は、賞の内容とターナーがあまりにも無関係だとの批判もあったが、いまでは西洋絵画史に風景画家という新分野を切り拓いた革新者ターナーにふさわしい革新的な美術賞として、この名に異論を挟む者はいないだろう。
まず初めは、ターナー賞がスタートした1980年代のゾーンだ。各ゾーンの入口には、その時代の年代別にノミネートされたアーティストと審査員などをスライドショーで紹介する4面ディスプレーが設置されている。ここでそのゾーンに展示されたアーティストの概要をつかんでおくと、展示を見るときに役立つ。さらに、意外なビッグ・アーティストの名前を発見する楽しみもある。それが誰かは、見つけた時のお楽しみにしておこう。
ギルバート&ジョージ「デス・アフター・ライフ」は、そのスケールで見る者を圧倒する |
ギルバート&ジョージ《デス・アフター・ライフ》1984年 482x1105cm 写真に着色 大阪市立近代美術館開設準備室蔵 |
このゾーンでまず目に飛び込むのは、一枚目に展示された鮮やかな色彩と荒々しいタッチで描かれた油彩だ。「アメリカ人女性と文明発祥の地」と題されたこの作品は、第1回ターナー賞受賞者マルコム・モーリー(1931~)作。ギリシア神話のテーマとアメリカ人女性観光客によって神話の時代と現代を対比させたこの作品は、当時の新表現主義による絵画の復権を象徴している。
この部屋では、立体作品も目につく。動物の足を持つ異様な姿の計測器「テリス・ノヴァリス」。1988年の受賞者トニー・クラッグの作品だ。「ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャー」と呼ばれる新しい立体表現の代表作だが、その隣りの壁にあるユーモラスな「ウェディング」も見逃せない。これもクラッグの作。彼は1980年代半ばまでプラスティックごみや廃材を組み合わせたユーモラスな作品で消費社会を批判した。この作品も、プラスティックごみで自分たち夫婦の結婚式をモチーフに夫婦関係を表現したユーモラスなものだ。著作権の関係でどれも画像を紹介できないのが残念だが、ぜひ会場でご覧いただきたい。
今見てもインパクトある作品ばかりだが、当時のターナー賞展はテートギャリーの片隅でひっそりと開かれ、プレスの反響さえ小さかったという。それどころか1980年代後半には、英国経済を襲った深刻な経済危機によりスポンサー企業が倒産。ついに1990年には、中止に追い込まれてしまうなど、波乱の時代が続いた。だがこの事態が、ターナー賞を生まれ変わらせる契機となったのだ。