アメデオ・モディリアーニ(1884~1920)。パリに出て画家として活動したのは、わずか14年間しかない

最初のゾーン「I章 プリミティヴィズムの発見 : パリ到着、ポール・アレクサンドルとの出会い」には、初期に描かれた多数の油彩と素描が並ぶ。時代は印象派全盛。1906年にパリへやってきたモディリアーニは衝撃を受けた。母国イタリアのベニスアカデミーで習得した古典的な絵画技法が、パリでは通用しなかったのだ。何を、どう描けばよいのか。展望が開けぬままのモディリアーニは、一人の若き外科医に出会う。

それがポール・アレクサンドルだった。彼は、いわば"パトロン"としてモディリアーニを経済的に援助しただけでなく、芸術的な面でも大きな影響を与えた。二人の間で交わされた長時間にわたる議論、連れ立って訪れた美術館、さらには他の芸術家たちへの引き合わせ……、そうした中からモディリアーニは、当時パリで流行しつつあったプリミティヴィズムに目覚めていく。

プリミティヴィズムとは、原初的な力にあふれたアフリカやオセアニア、東南アジアなどの芸術。当時、ピカソやマティスといった芸術家たちも大きな影響を受けた。モディリアーニはアレクサンドルのおかげで、ルーヴル美術館やギメ美術館、トロカデロ民俗誌博物館などに展示されていたプリミティヴ美術にふれる。さらにプリミティヴィズムに深く傾倒していた彫刻家プランクーシを紹介され、創作におけるプリミティヴィズムの影響が決定的なものとなっていく。

数多く残された素描には、油彩の下絵も多数含まれている

過渡期の肖像画には、まだ我々の知るモディリアーニはない

モディリアーニがパリで心を奪われた見世物を題材にした「ピエロの頭部」や、悲痛なまでの現実主義に貫かれた「嘆きの裸婦」など、こうした修行時代の作品は、我々がモディリアーニと聞いて思い浮かべる作品とは、全く異なる趣だ。なかでもでも注目すべきは、中央に展示された「帽子をかぶった裸婦」。背後に回ると、逆さになった肖像画が現れる。