--末續選手の恩師でもあるコーチの高野進さんが、「いろいろな練習メニューを提示すると嫌がる選手がいる一方で、チャレンジしてみようと思う選手の方が記録が出る」と仰っていました。
先生は発想法を伝えるだけなんです。基本的に、僕らに向かって「これをやれ」と言っているわけではなく、情報を常にバーッと発信して、それを僕ら側が「良いな」と思ったらやればいいわけです。皆さん、"コーチと選手"の関係に囚われがちなんですけど、僕たちはそういうスタンスではないんです。よく先生が仰るのは、"作曲家と歌手"の関係です。先生が作ってきた曲をもっといいものにして世の中に出す。そういう関係ですよね。ちょっと変わった感じです。
--印象的だったのは、「対応できる力を持っている選手ほど競技者としての力もつく」と仰っていたことです。それについてどう思われますか?
そうですね。要は練習と練習方法ってあって、練習方法って、ただの「もの」なんですね。練習方法はたくさん転がっている世の中ですから、どれをやっても正しいんです。別に間違っている「もの」は何もないし。だけど、それを練習して自分の中で力にするというのは自分次第だと思うんです。練習方法をただ見てその通りに練習方法を実行するだけだったら、それは趣味ですね。でも、僕らは競技者なんで、それを練習に変えて、力にしないといけないんです。そういう自己責任があるわけじゃないですか。だから貪欲にというか、僕にしたら「もっと(練習方法を)くれよ」という感じです。そのためには、何が自分に合うのか、自己分析をきちんとできていることですね。
--自己分析できていると掴めてきたのはいつくらいからのことですか?
まだまだなんですけど、自分の精神状態に対する分析はだいたいできるようになってきましたね。自分に嘘をつくことは、すごく簡単なんです。でも、そういうことをやっていると自己分析はできないし、なにをすべきなのかもわからない。
自己分析できていれば、自分に合うものか、それが良いのか、悪いのか、ただの思いこみか、そうじゃないのか、を常に考えて、合っているものを取り込んでいけるんです。そうやって、自分に合うものを練習に変えていって生まれたのが"ナンバ"だったんです。"ナンバ"を追いかけたんじゃなくって、結果として「ナンパっぽいね」ということだったんです。
--末續選手の言葉を聞いていて、社会人の人たちでも同じことが言えるような気がしました。マイコミジャーナルの読者層はサラリーマンの方が多いのですが、目標への向かい方も自分の心持ち次第で、違う結果を生む「可能性」があるんですね。
そうですね。オリンピックの間なんて4年しかない。よく「4年も」って言われるんですけど、僕にしたら4年しかないんです。そこにどう自分を持っていくか、が重要ですよね。僕は時間と勝負してるんです。例えば8月29日に200メートルがありますっていう話になったら、1週間スパン、1日スパンで計画を考えていくんですよ。ただ、計画は立てるんですが、必要なことを必要なだけやろうとするとどうしても練習時間は延びてしまうんです。でも、それはまったく無駄じゃない。前は、なにも考えずにただ練習時間を多くしていたんです。そういったやり方は時間の浪費だったなって、今は思います。
僕は発表する場は、10秒とか20秒しかないんです。だからはっきり言って、結果に対してそれほど期待はしてないんですね。だけど、10秒の間に「何が起こるわからない」という可能性を、とにかく馬鹿みたいに信じてるんです。